Scribble at 2026-01-23 19:39:52 Last modified: 2026-01-27 11:47:31
以前も書いたはずだが、僕はアフォリズムというのが大嫌いで、たぶん高校時代からビアスの『悪魔の辞典』なんかを取り上げては難詰していたように記憶している。理由はいたって簡単だ。理由を示さない主張や発言というものは、他人に理由を勝手に考えさせて、思想だとか首尾一貫とした立論のような「論理的なお化け」を捏造させるだけのインチキだからだ。本当のところは自分自身ですら理由が不明確で推論も弱い可能性がある思いつきを、結論だけ掲げて、何か深遠で巨大な考えがあるかのようなパフォーマンスであり、そのうち自分でも何か意義のあることをしているかのような自己欺瞞へ陥る。しかるに、誰もその論証ができないか、適当にできたとしても妥当性が当事者にすら判断できない。こんなものは生成 AI のハルシネーションと同じなのだ。
よって、古典とされている著作物でも、アフフォリズムや格言集のようなものは、だいたい手に取らない。僕が何年も前から気にしつつも、特に古代中国の古典を無視してきたのは、これが理由である。
「巧言令色鮮仁」
それがどうした。理由を言え。論証してみせよ。これが、哲学者としてのまともな態度だと思う。