Scribble at 2026-06-10 07:57:20 Last modified: unmodified

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Anti-social: It's fads, not friends, which now dominate our feeds

SNS が「ソーシャル」ではなくなり、人間関係よりもパブリシティやアテンションという尺度を優先するようになって・・・久しい。こんなもの、少なくとも10年以上は前からの話であって、いまさら大発見のように指摘するまでもないだろう。したがって、そのままでいいのかどうかという議論や、それ以外にどうしろというのかという議論が続けられてきたのだけれど、これだって何年も前から色々なところで話題になっていながら何か目立つムーブメントになったりはしない。そら、単純な話として娯楽を止めよと言ってるようなものなのだから、殆どの凡人にとっては馬耳東風であろう。しかし、社会科学の素養をもつ科学哲学者としては、そんないかにも象牙の塔の住人みたいな態度で冷笑していても哲学的には無意味である。そもそも凡人なんてどうでもいいと思っているなら、冷笑すること自体が時間の無駄だからだ。冷笑するに値するような凡人のふるまいを、尊き哲学者様がわざわざお時間を使って観察するなんていう愚行を犯しているからである。しかし、決してリップ・サービスではなく、哲学するとは僕らを含めた誰にとっても共通の、それこそ生き方や生き様というものからかけ離れた何かではない。ましてや英語やドイツ語の洋書を読むことではないし、中動態だ、勉強だ、オブジェクト指向だ Twitter だと、些末な話題で駄本を書いて過ごすことでもないのだ。

そもそも、SNS だけに限らずウェブのコンテンツが多くの利用者にとって「情報源」であり、つまりは調べて眺めたり読むものであったという事情を考えれば、いまさら YouTube や Instagram が「テレビ化した」などと言われたところで驚きはない。したがって、上の記事で言われているような、ウェブサイトの運営者が「クリエイターやエンターテイナーであることを迫られる」などという指摘についても、ぜんぜん驚くに値しない。クリエイターとかエンターテイナーがなんであるかの議論は別にあるとしても、昔からオンラインのブランディングとはそういうものである。そして、テキスト・サイトの運営者だろうとキュレーターだろうと、そういう能力をもつ人々の文章が(内容の水準や当否はともかく)持て囃されてきたのである。

この記事の「アンチ・ソーシャル」という凡庸なスローガンも、それこそ15年くらいは前から色々な批評家が書いたり口にしてきたアイデアなのだが、はっきり言って何の影響力もない。そもそも、こういうことを言う人たちの多くが、face-to-face の人間関係の方が何か「良いもの」であるという思い込みを前提にしているのだが、それこそ多くの人たちにとっては迷惑な話である。

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