Scribble at 2024-01-17 18:41:10 Last modified: 2024-01-18 13:29:17

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本日は出社日である。新規の取引先申請やリスク分析表の追加といった所定のタスクを終えて、自分が所属している本部の会議も終えた後に、本日は天満橋のジュンク堂へ立ち寄ってきた。ちなみに、このまえ『あさイチ』でニトリを紹介していたので、家具の他に色々とありそうだと思って、ついでに立ち寄って珪藻土が入ったバスマット(29x39cm)というのを1,290円で買ってきた。肌触りが良かったので、バスマットとして使うのではなく、キーボードを置くテーブル・マットとして使う。

https://www.nitori-net.jp/ec/product/7741234s/

ジュンク堂の規模がある大型書店へ立ち寄るときは、いつも目当てのジャンルを決めている。そうでないと幾らでも時間が過ぎ去っていくからだ。いくら裁量労働の部門長だからといっても、もう受託事業を担当するプログラマやデザイナーでもないのだし、書店に何時間もいるというわけにはいかない(なんで会社の帰りに書店へ立ち寄ってるだけなのに裁量労働とか書いてるのかと言うと、いちおう会社ではフレックスタイム制の最低時間だけいて、後は帰宅して自宅で業務を続けるということにしてあるからだ。よって、業務から途中で抜けているという扱いになる)。よって、せいぜい1時間で見て回れるくらいのジャンルを二つか三つほど決めるのだ。今回は、「電磁気学」、「古墳」そして「Rust のテキスト」だ。

しかし、着いてすぐに Rust のテキストは物色するのを止めた。プログラミング言語の本は、何かをきっかけとして物色しようという意欲は起きるのだが、書店へやってくるとたいてい意欲がなくなる。これは、もう10年くらい前からだ。なぜなら、簡単な話だが初心者向けの本ですら5,000円前後と高すぎることに加えて、正直なところ大半が翻訳であり、原書で読めばいいような本ばかりだからだ(原書は、Internet Archive にもあるし、中には Google Books で全て読めるものすらある)。今回も、Rust のテキストはなんだかんだと10冊くらい出ているけれど、わざわざお金を出してまで買うほどのものはないと思った。

次に電磁気学、つまり自然科学の棚へ向かう、先日、連れ合いが「Wi-Fi はどうしてデータを送受信しているのか」という質問をしてきて、電磁波の話をしたのだが、結局は「場」とか「力」とは何かということを理解してもらう説明を工夫しないといけない。そういうヒントがないものかと思ったのだが、やはりたいていの物理や工学のテキストは「そういう仮定を置いて計算するとうまくいく」とか「そういうものが『ある』と考えれば都合がいい」という説明しかしない。もちろん、科学哲学者を名乗っている人間が、こんなことで済ませるのは研究者として恥ずかしい話である。これは、いずれ PHILSCI.INFO の方で論説を公開しよう。実は、科学哲学の読み物とか教科書って、こんなことすらテーマにしてないんだよね。科学哲学という分野があることを既成事実のように前程して、その上で theory-laden だ ceteris paribus laws だ、counterfactuals だパラダイムだと解説している。でも、大半の人にとっては、たぶん科学の哲学というのは、力ってなんだよとか、相対性理論って何の意味があるのとか、公害が起きるのにどうして科学者は罰せられないのとか、そういう話を求めているんだろう。もちろん、科学哲学はそういうことだけを論じる学問ではないけれど、だからといって、逆にそういうことを論じなさ過ぎるせいで(あるいは、科学者の社会的責任なんて話を論じてるのが左翼ばっかりというせいで)「どうでもいい分野」だと思われてるんじゃないのか。で、たまに科学哲学者が科学の概念を論じると、バカのひとつ覚えみたいに謎掛けとか禅問答風の巧妙なパズルみたいな話ばっかりしようとするんだよな。もう、そういう頭の弱い日本の出版人しか喜ばないパフォーマンスなんていいんだよ。そして、日本で科学哲学のエッセイを出版するには、そういうバカに編集や出版を任せるしか無いというなら、出版業界に何の利害関係もない僕らアマチュアがまともな議論をするしかないのだ。

そして三つめの「古墳」なのだが、これは白石太一郎氏の『古墳とその時代』(日本史リブレット、2001)という本は良さそうだと思ったけれど、20年以上も前の本がいまだに増刷されているということからして、基本的な論点は殆ど研究の進展がないということだと判断した。それなら、わざわざ買わなくても大阪市の中央図書館でもっと大部の詳細な概論を展開する本を借りられる。そして、それ以外に出ている古墳の本は、はっきり言って9割が単なる観光案内レベルの内容だ。あと、一部に見られる「歴女」とかの本も、お世辞にも良質かつ高度な内容とは思えないものばかりで、いくら40年前の話だとは言え、いちどは中学時代に研究者としての進路を多くのプロパーから嘱望されていたような人間が読むほどのことはない。

ということで、珪藻土が入ったマットだけを手にして谷町筋を歩き始めた。まったくの余談だが、谷町3丁目付近にあったモスバーガーがなくなっていて、代わりに「狸狸亭(ぽんぽこてい)」というお好み焼き屋ができていた。この「狸狸亭」は、「風月」から分かれた「風の街」や、あるいはもっと昔なら「千房」などと並ぶくらいの美味いお好み焼き屋で、大阪市内の鶴橋周辺に住んでいれば誰でも名前は聞いたことがあると思う。モスバーガーがなくなったのは残念だが、その代わりが「狸狸亭」なのは幸いだった。

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