Scribble at 2026-10-15 06:52:26 Last modified: 2026-10-15 07:02:17

一週間ていどの間を空けたのは、ご承知かと思うがメインのコンテンツである当サイトの論説を更新していたからだ。具体的にここで書いてもしょうがないので、興味がある方は現物をご覧いただくとして、ここではメンタリティという点で関連がある話をしておきたい。これは全く僕のプライベートな感情とか印象とか理解の話なので、論説へ短評の一つとして追加するには矮小かもしれないし偏り過ぎた内容だと思うので、こちらに書いておく。

僕は数か月前から早朝にウォーキングをするようになった。幾つか事情や理由はあるが、おおむね体力づくりとか身体能力の衰えに抵抗するとか、還暦前のジジイなら誰でも言うようなこととして理解してもらえばよい。ちなみに、ウォーキングから帰宅してシャワーを浴びた後に打刻して仕事を始めているから、僕の勤務時間帯は 6:00 - 16:00 くらいである。まぁそれでも、人が退勤していようがおかまいなしに仕事を言ってくるのが、あいかわらず「プチ電通」の体質が抜けない弊社の陋習なのだが、しかしそれも最近の若い世代にはさすがに通用しないとあって、もうこんな働き方に対応できるのは僕らの世代で最後なのかもしれない。

さて、早朝に街の中をウォーキング(早歩き)していると、大阪市内でも屈指の高級住宅街や文教地区と言われているエリアであっても、色々なスケールの家や会社があって、恐らくは色々な暮らしがあるのだと想像できる。それこそ、一辺が 20 m くらいの石垣で囲まれた「邸宅」と呼ぶに相応しい家の隣に、いわゆる「文化住宅」を今風にしただけといった集合住宅があったりする。年収にすれば100倍くらいの差があるのだろう。それでも、それぞれの家には色々な人たちが生活していて、同じ集合住宅の世帯でも色々な仕事に就いていたり、色々なところから移り住んでいたりする。で、邸宅に住んでいようと、集合住宅に住んでいようと(僕もそうだ)、ただちにどちらが偉いとか尊いとか優れているなどと比較できるものではないということくらいは、誰もが言えるだろう。もちろん、だからといって厳しい暮らしをしている人たちが左翼やリベラルのモデル世帯として同じ苦境に置かれ続けなくてはいけない理由などないわけであって、もっといい家で快適な暮らしができれば、それに越したことはないに決まっているはずだ。また、どれほど裕福な家に育って企業の経営などに従事していようと、それだけで有意義な人生を送っていると思える人が多いとは思えない。少なくとも、完全無欠な人生とか至高の生活なんてものがありえないか想像すらできない以上は、どういう地位や暮らしぶりであろうと、そういう境遇にある人々が無条件に満足しているとは言えないだろう。

ただ、裕福な人々はスタート・ラインにおいて有利な条件が揃っているし、揃えるためのお金や権力があったりするから、やはり不利な境遇の人々とは違う。そして、それゆえに不利な境遇の人々が苦労して達成したことを多くの人たちが賞賛するわけであり、「アメリカン・ドリーム」などというフレーズが知られるようになるのだろう。ただ、日本で賞賛される多くのストーリーは、経済的に裕福になるという上昇志向だけを意味するわけではなく、自分が置かれている境遇でのベストを目指すということも含まれる。確かに、これは日本に特有の「部分最適化を尊ぶ」という必ずしも良い傾向とばかりは言えないことなのだが、世の中を引っ繰り返すような功績なんてものだけで人が評価されるわけではないという意味では、多くの人々が賞賛に値するという、それはそれで健全と言いうる傾向にもなる。

僕が、『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』という作品をアニメだけでなく原作漫画でも一通り第9巻までを通読した限りで思うのは、やっぱり僕は派手なサクセス・ストーリーよりも、この作品で(まだ達成はしていないが)山田が抱いている夢や目標を追いかけようとするストーリーの方がグッとくるということだ。しばしば、そのために仕事へ真摯に向き合おうとする姿を「尊い」などと評している人もいるらしく、それゆえ本作品が中年男の願望(二十代の可愛い女の子と心を通わせる)を描いているだけの物語ではないのだろうと思わせる何かがあるのだ。正直に言うと、『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』第8巻の188ページあたりで(山田が店長と、働き始めた頃の山田が抱いていた夢と目標を思い出して語る場面)、珍しくウルっとしてしまった。

でも、そういう自分自身の感受性だけで議論してよいのかという気分もある。なぜなら、山田、つまり横浜の田舎町に生まれ育って、高卒で、スーパーのパート従業員をしているという、それこそ絵に描いたような貧困層の女の子の健気な意欲にどれほど感動しようと、それは結局のところ僕が彼女のような人たちよりも有利な立場で、それこそ漫画を読むようにして眺めていられる境遇にあるからではないのかと思ったりする。でも、海外の大金持ちによくある、私財をなげうって孤児院を立てるかと言えば、そこまでの資産や財産はないし、あったとしてもそんなことはしない。そういうわけなので、僕はこの作品を読んだからといって、パート従業員の待遇を改善したり、あるいは佐々木が勤める元気商事のような企業を規制するための、政治的な取り組みを始めるわけではない。しかし、この作品についてあれこれと論評を書いて自分の気持ちや考えを整理することで、少なくとも僕自身の暮らし方や生き方や振舞い方について色々なことを反映させようとは思っている。たとえば、僕は普段から連れ合いと色々な話はしているけれど、もっと自分たち自身の考えていることや気持ちについて話をするようにしたいと思う。

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