Scribble at 2023-05-18 20:16:46 Last modified: 2023-05-18 20:17:02

PHILSCI.INFO の方で長らく更新していた thanatophobia についての論説は、そろそろ改めて新しい論点や議論を追加しておこうと思う。

「死」は、まさしく死ぬことよって怖がる主体が消失するのだから、「死ぬ」までは怖いかもしれないが、どのみち死ねば怖いもクソもないという強力な議論に対抗する手段がなさそうに思える。そして、意識の哲学や認知科学からも抵抗を更に難しくする援護射撃がある。

昨今の脳科学におけるトレンドからすれば、「死」を恐れる主体、つまり自意識とは、他の臓器や器官からの入力や脳から発した信号のフィードバックによって脳が生み出す「結果」なのであり、従来の脳科学や心の哲学が考えていたような、それらの原因ではない。意識とは脳で起きることがらの副作用でしかないのだ。よって、死ぬときも先に自意識を生み出す副作用の仕組みが止まるのではないのか。なら、死ぬ前に意識はとっくに機能しなくなっているのだから、死ぬのが怖いと感じる主体も先に消えている。そのタイム・ラグが仮に1秒や10秒であろうとも、先に死を怖いと感じる仕組みそのものが失われるのであるから、現実に人が死ぬ状況において、それをどうこう怖がったり悲しむ主体はとっくになくなっているのだ。

したがって、この理屈を使えば、昔から幾つかの事例が真面目に語られたり研究されてきた「臨死体験」の説明もつくというものだ。そういう人々は、副作用としての主体が消失した経験をしているのかもしれないが、実際には死んだりしていないわけである。

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