Scribble at 2026-10-30 05:39:46 Last modified: 2026-10-31 09:58:48
ときどき、連れ合いから言われることがあって、どうしてオンラインで脊髄反射的に怒鳴ってるだけの雑魚みたいなのを、僕らがいちいち一本釣りして紹介してまで晒したり批判する必要があるのか。愚かな意見は放っておいて消えていけばいいわけで、取り上げるからこそ、当サイトのログとして残ってしまう。それこそ愚かな人々の「実績」になってしまうのではないかというわけなのだろう。
もちろん、大半の愚行や妄言はそうやって消えていく。僕らがこういうことをやろうとやるまいと、たいていの凡人のツイートなんて、本人の記憶にすら残らないであろう。でも、それゆえに全く見ず知らずの他人が取り上げて、わざわざ自分のサイトで引用までして公に保存し、そして吊るし上げる意味があると思う。それには幾つかの理由がある。
第一に、僕は社会思想や幾つかの社会科学の分野を学んできた一人として、やはり世の中に最も深刻な影響を与えるのは凡庸な人々のものの考え方や習慣だと思う。愚かな内閣総理大臣や、キチガイ大統領は、確かにロクでもない政策を実行して、僕らの生活に深刻な影響を与える。でも、それらは統計学で言うところの「遅延指標」であって、凡庸な人々による些細な愚行が積み重なることで生じた結果なのであって、原因ではないのである。僕は哲学者なので、基本的に自分が死んだあとの社会や宇宙なんてどうでもいいと思っているが、少なくとも自分が生きているあいだに積み上げられる愚行は、自分自身についても、それから他人のやることについても減らしたいとは思う。そのために哲学者としてできることというのは、キチガイ大統領を(知的に)暗殺することではないのだ。
第二に、僕は権威主義者ではあるが、権威というものは具体的な適用範囲というものがあって、無条件に従うようなことではないと思っている。よって、単一の権威でもって多くの人々がやっていることを一律に切り捨てたり無視すればいいというわけにはいかない。オンラインで愚かな人たちが発言することを、たとえば岸君のような権威筋(いまや京大教授だからねぇ)が一つ一つ見つけて批判するかと言えば、もはや彼はそんなことはしないであろう。逆に、学者がそんなことをしていてはきりがないのであって、市井における愚行は、同じく市井でものを書いている僕らが見つけて吊るし上げるべきなのである。もちろん、多くの人は僕と同じように「バカだなぁ」と思うだけなので、特に何か新しい発見なんてないだろう。でも、オンラインには無知な人や道理をわきまえない人や未熟な人もいて、同じものを見ている。ウェブの場合は、確かに陰謀論に取りつかれたり偏見に陥るリスクもあるが、彼らが誰に憚ることなく、ものを知ったり反省できるチャンスもあるのだ。そして、権威ではないとしても、誰かが或ることを駄目だと意見を述べることにも意味はあると思う。
ということで、上に取り上げたスクリーンショットも僕がここで叩き潰す一つの事例となる。東浩紀氏のツイートに対して、数学をかじっただけの(そして数学を理解しているということに強いコンプレックスがあるような)人によくある、数学の概念を自分勝手に比喩として扱う出鱈目の実例なのだが、数学の場合は厄介なことに、かなりの割合で精神疾患の人が魅了されやすく、それゆえ人を煙に巻くような数学の言葉を弄ぶコンテンツをウェブに撒き散らす傾向がある。数学の厳密な勉強に慣れていない人から見れば、大学受験の解説をしているようなコンテンツと、そうしたキチガイの妄言とに区別はつかないことが多いので、あたかも形式化された合理的な議論をしているように見えてしまう。
少なくとも、Google Plus で圏論のコミュニティで管理者をしていたこともある人間として言わせてもらうと、圏論と言うのは通俗本で言っているような「矢印を扱う分野」などではない。あらゆる数学的な対象を関数なども含めて一律に矢印として図示することが圏論だと思っているようでは、はっきり言って「ブルーバックスのレベル」でしかない。そうして形式化した系どうしの比較や変換に規則性を見つけることが圏論の議論であって、他人の話を矢印で描きなおしたくらいで圏論を語るというのは、上のような馬鹿が数学をなにも理解していない証拠である。