Scribble at 2026-01-17 12:47:42 Last modified: unmodified

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ブルース・シュナイアーらが安野貴博とチームみらいについて論じている

シュナイアーについて書いた記事を公開しているという事情から、このブログ記事そのものはどうでもいい翻案にすぎないが、話題として取り上げられていることがらについては幾つかの意見を述べておこう。まず最初に書いておくが、僕はシュナイアーの評価には賛成しない。

この安野とかいう人物の話している様子は、何かのニューズ番組で見かけたことがあるけれど、政治の裏方としては色々なアイデアを持っているようではあるけれど、しょせんはテクノロジーを使ってテクノロジーそのもののパフォーマンスを面白がっているにすぎないという印象を受けた。そういう意味では、N 党と同じであって、政治制度や選挙制度を利用して社会運動などと呼ばれる自意識プレイに落ち込んでいる人々の一人と言うべきであろう。簡単に言えば、そういう制度や手続きやデバイスの不足や不備を補完したりハックすることにしか取り柄のない連中に、世の中を「良くする」あるいは少なくとも変える真の力など無い。

シュナイアーがどうしてこういう、いかにも若者がやりそうな便利でナウいデバイスを単に使うというだけの、実際には大昔から色々な場面で繰り返されてきたパターンの一つに過ぎない事例を取り上げて、注目しているなどと適当に留保した無責任な表現を使いながら、実際には片足だけコミットして支持するかのようなことを書いているのか。このような書き方そのものが「政治的」であり、僕はシュナイアーがセキュリティの専門家というスタンスから政治へと軸足を移しているような印象を受けていたけれど、いよいよそういう傾向が顕著になってきたように思える。本来、テクノロジーの範囲で良し悪しを評価するだけであれば、特定の思想にコミットしたり、特定の政治制度を最初から「良いもの」として前提するようなことはしなくて良いはずなのだが、特に強い論証があるわけでもない「民主的」な目的のためにテクノロジーを使うことを支持するというのだから、これは技術の専門家としてのスタンスを踏み越えているというべきであろう。

仮に AI の利用がどういう政治的な立場にとっても有効であるなら、AI を選挙に活用するということが直ちに民主的な制度や国を維持したり作ることを「技術的に保証する」こととならないのは当然であろう。そして、もしそんな保証があるなら、現実の政治家が自分たちにとって不利な結果が出ると分かっている技術を認めるわけがないのである。ということは、結局のところ民主的な制度や国を作って維持できるかどうかは AI とは関係のない条件に依存するのであって、彼らの「民主的な国をつくったり守るために AI を使おう」という議論そのものが根本的に空回りでしかないのは明らかだと思うのだ。

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