Scribble at 2025-06-12 22:08:56 Last modified: 2025-06-13 08:39:20

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些細なことではあるけれど、たとえば僕の机の雑然としたところでも写真に収めて眺めていると、この写真に収まっている物品のどれをとってみても、ヒトではない他の生物種が同じレベルの物品を、自分たち自身の進化や知性の発達や文明の発展や文化の展開といった様々な経緯で作り上げられるだろうかと思えば、たぶん1億年が経過しても無理だろうと思うんだよね。カラスが iPhone を自力で発明するとか、柴犬が讃岐うどんの製造機械を開発するとか、いやヒトに最も近いと言われるチンパンジーのような種ですら、『中動態の世界』とか『動きすぎてはいけない』とか、そのほか書店にいくらでも並んでいる愚劣な通俗哲学本を自力で書き上げるまでには至らないだろう。まぁ、こんなクズみたいな本でも、そのていどの値打ちはあるわけだ。しょーもない本をネタにした余談はともかく、まじめにこんな通俗的な連中とは一線を画した哲学者として言わせてもらうと、これが事実であるとして、ではそこから何を僕らは学ぶべきであろうか。

僕らのように、べつに大金持ちでも強大な権力をもっているわけでもない、しがない一般人の部屋に置いてある安物の小道具をとってすら、他の生物種には1億年が経過しても作れるようにはならない知性や文化の成果である。しかし、それだけの圧倒的な知識や技術でつくられた物品であろうと、簡単に手に入るし、簡単に使えるわけだ。しかも、これは同じヒトの歴史においてすら、ここ100年ほどのあいだに展開してきた状況である。100年前の日本でも、多くの庶民はハンド・クリームなんて買えなかったし、そもそも1ミクロンの精度がある爪やすりなんて製造機械そのものが発明されていなかったわけだ。したがって、他の生物種どころか過去の日本人と比較してすら、現代の僕らは或る点では恵まれた、圧倒的に有利な立場にあると言って良い。部屋の中で他の場所を眺めてみても、たくさんの本やノートや器具などが並んでいる。これらを生み出した最近の技術や知識の進展は、やはり広範な地域に教育制度が普及したことも一つの原因であろう。

このところ、特に生物学や文化人類学といった分野では、ヒトの知性は他の生物種やヒトの祖先にあたる生物種などに比べて、それほど優れているわけではないという主旨の本がたくさん出ている。その趣旨が相対主義の強調にあるのかどうかまではわからないにしても、たとえ植物にも痛覚があったとか、クジラが高度な社会性をもっているとか言ってみたところで、そういうことを見つけるだけでヒトの文明や文化や知性がどれほど相対化できるのか、そして相対化することに何の効用や教訓があるのか、いまだにはっきりしないところがある。ヒトの傲慢さをエコロジーや動物愛護といった動機で非難するためか。それとも何らかの脆弱性に思い至らないままでいるリスクを懸念してのことなのか。それは分からないが、何らかの未知の病原菌を見過ごすリスクのようなことも含めて、それはそれで理解はできるものの、そういう事実を持ち出して生物学や文化人類学を超えて何かを議論しようとするなら、あくまでもヒトにとってどのような教訓であるかを明快に述べなくてはならない。ハエが賢いと幾ら鬼面人を驚かすような本を書き散らしたところで、そんなことで人は自分の置かれた境遇を、有利な立場として活用しようと思ったり、あるいは何らかのリスクがあると思ったり、なんにせよ慮ったりはしないものである。

[追記:2025-06-13] もちろんだが、その逆も言える。つまり、ヒトの知性なり文化や文明がただ単に他の生物種よりも遥かに発達しているという事実だけで、自分が何者かになったつもりで全生物の代表あるいは頂点にいるかのような態度でものを考えたり生きることは、ただの無知無教養でしかない。なぜなら、あなたが最新鋭の iPhone を手にしていようと、しょせんあなたにノベール賞を受ける業績は上げられないし、年収数百億円の巨大 IT 企業を率いる起業家にもなれないだろう。いや、そんなことは些細であって、しょせんヒトなり人類は、ここまで知性が発達したり文明が進展したとは言っても、まだぜんぜん未熟なところが無数にある。こういう自覚もできるようになったことが、皮肉にも一つの発展なのだ。

ヒトがいまだに未熟であると言いうる理由は、それこそ手元に置かれた色々な器材で人類の発展の成果を数え上げるよりも遥かに多い。たとえば、あなたが膵臓がんに罹患してステージ III だったら、現代の医学ではまず助からない。あなたは、どんなに優れた乗り物であろうと、現代の技術では光速の半分の速度ですら移動できない(あなたは「電子に乗っかる」なんてことはできない)。あなたは、土星あたりで見つかった月くらいの大きさの彗星が地球へ衝突するコースをとっていたら、現代の科学では逃れたり彗星を破壊することはできない。ヒトには、あれこれとできることやできたことはあるが、ぜんぜんできないことも無数にあるのだ。僕が思うに、哲学あるいは他の学問でもいいが、それらが教える真の成果というものは、恐らくヒトがどこまで分かっていて、それ以外はぜんぜん分かっていないかを思い知ることであると言える。そして、もちろんヒトには「それ以外」がどこまでたくさんあるのか、実は全く想像すらできないのである。

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