Scribble at 2021-01-27 10:10:48 Last modified: 2021-01-27 10:13:06

或る出版物や考え方や理屈が「通俗的」であるかどうかの基準は、なるほど明解に決まっているとは限らない。よく僕も「通俗本」だの「通俗雑誌」だのと言っているが、もちろん侮蔑的なニュアンスを込めていることもあれば、特に侮蔑する意図を込めずに多くの人々へ受け入れられているとか、場合によっては〈良い〉あるいは〈健全な〉というニュアンスすら込めることだってある。よく、小平の英雄だとか立命館のお勉強君だとか、通俗本を量産するバカどもを揶揄するのに「通俗」という言葉を使うが、もちろん多くの人々(その大半が不見識な者であれ素人であれ)に賛同されたり支持されることは、〈悪いこと〉でもなければ、そもそも哲学としての〈堕落〉などと言うべきかどうかすら僕には分からない(逆に、〈洗練された〉哲学とか、〈高潔な〉哲学なんて概念に正当な意味があるのかどうかも怪しい)。それに、正直なところ彼らの本が実際のところ何冊売れているかなど知ったことではないし、売れていようといまいと僕の意見に変わりはないのだ。

日本では「通俗科学」という言葉は殆ど使われず、もっぱら出版物では「ポピュラーサイエンス(popular science)」という言葉が使われるようだが、このような場合も "popular" という言葉の正確な意味をとるのは難しい。必ずしも客観的な基準があるわけでもないし、場合によっては、或る種のポジション・トークに使われるからだ。つまり、〈この程度は〉通俗的で低級だというスタンスを取ることで、自分たちは普段からもっと〈高尚でハイ・レベルな〉文章なり本を読んだり議論していると示唆したがるというセコい連中が、イギリス人はもとよりアメリカにもたくさんいるのである。

例えば Scientific American は popular science magazine と言っていいようだが、これを自然科学のプロパー以外に読んでいる人と言えば、せいぜい自然科学の愛好者やアマチュア研究者の類であろう。なぜなら、この雑誌で展開されている説明や解説を、高校レベルの理科系の知識もなしに読みこなせるとは思えないからだ。つまり、ここで言う "popular" とは高卒レベルの人々にあまねく普及することを意図している発行物に使われている表現であり、小学生(#早熟な子供は除く)の大半に Scientific American が読まれることを意図して発行されているわけではないということだ。つまり、最初から "popular" であるかどうかの範囲が特定の購買層に限定されている。そして、恐らく日本語としての「通俗」という表現も、揶揄するために使うときは雑に〈馬鹿専用〉といったニュアンスしかないのだが、そうでない場合は更に限定した範囲を対象としているだろう。そして、そういう範囲を決める基準なり正当性は、条件が変わると基準を替える方が適切になりうるし、その条件とは、まさに何が多くの人々にとって常識の範囲の知識や判断基準として認められているかという popularity なのかもしれない。

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