Scribble at 2026-04-05 09:34:56 Last modified: 2026-04-05 09:39:22
なぜ彼は殺されねばならなかったのか?──1936年6月22日、論理実証主義を掲げる「ウィーン学団」の哲学者モーリッツ・シュリックが元教え子に射殺された。ナチス台頭期の不寛容と反知性主義を象徴する事件を軸に、現代英米哲学/分析哲学のルーツとなった思想運動の興隆と蹉跌を活写する。学団の枠を超え、アインシュタイン、フロイト、ハイデガー、ウィトゲンシュタインら、時代を画した知性の運命が激しく交錯する哲学的群像劇にして、いまふたたび危機の時代を迎えた私たちに鋭く問いを投げかける圧巻の歴史ノンフィクション。
本書は(この後に書いている語句の時制の表現がややこしくて恐縮だが)、いまや既に半世紀以上も前から、科学哲学や分析哲学の著作物において「華々しい破滅」だの何のと呼ばれてきた、いわば英米哲学の仇花のようなものとして歴史の一コマであるかのように扱われがちな「ウィーン学団」や「論理実証主義(あるいは論理的経験主義)」という思潮が隆盛を誇っていた時代の話だ。
それなりに分厚い本だし、監修者が説明しているように一定の哲学なり分析哲学の素養がないと十分に理解し楽しめない内容となっているため、最近の学部で教えている標準的な「哲学史」の講義で論理実証主義までカバーしているような講師がどれほどいるのかは疑問だが、近世、あるいはせいぜい実存主義や弁証法的唯物論(あれ、哲学なの?)までの講義しか聞いたことがない人々や、日本で販売されている「バカ専用」の哲学的な読み物だけを読み飛ばしているような人々には、やや難しいと思う。
そもそも、そんなもんばっか読んでる人たちは、実際のところ哲学する必要なんて最初からないわけで、こういうウィーン学団の話にしても読書家などのような暇潰しの動機でしか関心がないだろう。本当に切実な事情や動機で「哲学」と呼ばれるなにかに関わろうとする人なら、そんなもん勝手に勉強するんだよね。なので、こういう「読むための素養」みたいな話を僕らのような哲学者、あるいは最低でも大学院の博士課程まで進んだていどの学識ある人間が、わざわざ手ほどきする必要なんてないのだ。哲学の本を手に取る動機や事情なんて、他人に言われて生まれるものではないからだ。なので、実はそれほど心配なんてしていない。だいたい、哲学に携わっているならわかると思うが、本なんてなくても哲学はできるし、できねばならない。したがって、もちろん本書を読んでいなくても哲学はできるし、それどころか本書を読んでいなくてもウィーン学団や論理実証主義について考えたり、まともな研究はできる。
事実、僕の修士課程(エスカレータ式でもないくせに「博士課程前期課程」という妙な名称だったが)時代の恩師であった竹尾治一郎先生は、あまり明確な根拠はないと思うのだが、「論理実証主義研究の重鎮」となどと呼ばれていたことがあって、もちろんそういう業界内外のレッテルなど知ったことではない哲学者の僕らは先生と接するときにそんな予断は欠片も持ち合わせていなかった。或る人物の言動にどのような方針や思想や見通しがあるかを理解することは、確かに相手を理解することの参考になるかもしれないが、そういうものはたいてい偏見や思い込みであったり、なんなら当人ですら自分自身に対する自意識として自分を偽るというリスクがある。したがって、僕は古典の研究においても、そういう「人の言動の背景にある深遠な思想」だとか、あるいはいまどきの流行語で言えば「メンタル・モデル」だの「マインド・セット」のようなものを仮定するというアプローチに疑問を覚えていて、それは現在も僕の見識の一つとなっている。実際、ハイデガーやプラトンについて、彼らの「思想」なりメンタル・モデルを何らかの仕方で(言語によっては不可能である。なぜなら、それをまた読む人が誤解する可能性があるからで、そもそも言語によって意味を固定するという発想そのものが言語や意味といった認知機能に対する錯覚である)固定できたとして、そこから演繹できた定理のようなものが哲学史なり哲学研究の歴史において一つでもあったろうか。そして、われわれのような哲学者にとって重要なことは古典の正しい解釈なんぞではなく、まさに「事象そのもの」なのであるから、そういう解釈によってこそ宇宙の真理に何ほどかでも漸近しうるかどうかが問題なのだ。われわれ哲学者というものは、「『存在と時間』の正しい読み方」という受験問題の解答みたいなものを知りたいわけではないからである。
よって、こういう読み物が論理実証主義を「理解」する助けになるとか、いわんや「深い理解」を助けるものであるといった、出版業界では軽口としておびただしい数の古典的な著作物について言われてきたフレーズに惑わされる必要はないのであって、暇と金があれば読んでもいいと思うが、別にこれを読んでいなかったからといってウィーン学団のなんたるかを理解できないとか論じる資格がないなどということはない。