Scribble at 2023-08-22 20:30:25 Last modified: unmodified

イヴァン・イリイチという人物がいた。一部の人々にはよく知られているらしく、実際に日本でも彼の学説なり思想について書かれた研究書が出ている。しかし、大学教員としての業績も多少はあるようだが、大半の事績はカトリック神父として始まり、やがて教会から離反するようになるといったクリスチャンとしての活動であった。更には、現代のジャーナル・アカデミズムに代表されるようなレフェリー制を担保にしているような著作物よりも単著を多く残しており、要するにアカデミズム内部でレフェリー制が普及している一つの効用なり目的、つまり多くの研究者の目に嫌でもさらされるという過程を経ていないせいで、関心のある人にしか読まれていないという結果になる。単著を数多く残している割には殆ど知られておらず、また読まれてもいない理由は、そういうところにもあろう。

これに加えて、日本では適当な解説書なり紹介の文章がないというのも、更に関心を持つ人が増えない理由になっていると思う。我が国では、山本哲士という人物が著した長大な、そして判型も巨大な本だけが知られていて、要するに学生が気軽に買って読めないような本しかない。

このような事情は、専門に研究する人が少ない哲学者や思想家に共通である。なんだかんだ言っても、翻訳なり原典を高校生や大学生が手に取りやすいかどうかは、その人物について関心をもつ人が増えるかどうかに関連性があると言える。したがって、主著が古臭い日本語訳しかなくて、著作集も高額な書籍としてしか手に入らないライプニッツの研究者が少ないのも、似たような事情によるのだろう。あるいは、学生が買えるていどの価格で販売されていても、そもそも翻訳の全てが絶版になってしまっているカルナップなどにも言える。せめて、岩波文庫やちくま学芸文庫や講談社学術文庫などから、1,000円以内で主著の翻訳が出ると結果は大いに違ってくるはずだ。カルナップの場合は Aufbau だろうし、ライプニッツは『形而上学叙説』をいいかげんに新訳(あるいは最低でも現代仮名遣いに改めて)で出すべきだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook