Scribble at 2021-12-10 20:40:21 Last modified: 2021-12-11 09:04:03

かなり前に書いた話だが、高校時代の一時期だけ、僕にはファンクラブというのがあった。同級生の女子が何人かで放課後に集まって活動していたようだが、実際のところ何をしていたのかまるで分からなかった。そして、何かの冗談か暇潰しの遊びだろうと無視していたら、そのうち消失したらしい。その後、高校を卒業してから、その何人かの同級生はたまに検索すると Facebook とかで見つかったりする。いちおう、暇なときに母校の出身者は男だろうと女だろうと上級生だろうと下級生だろうと関係なしに SNS のアカウントとか、あるいはサイトを持ってる場合はサイトを検索して眺めたりするのだが、今日は朝に寝床で何人かのサイトを眺めているときに、何年ぶりかで調べた同級生の女性が5年前に亡くなっていたことを知った。おかげで、今日はプライバシーマークの現地審査を朝から夕方までやっていたのに、やや憂鬱な気分にさせられた。本来、監査とはお金を払って自社の弱点を第三者に見つけてもらう〈絶好の機会〉として活用しなくてはいけないのだが、もう同級生が亡くなってゆく年代になったのかと、変な意味で感慨深いものを覚えつつ監査に対応していた一日であった。

5年前と言えば、まだ48歳だ。気の毒なことである。

それから、同じく同級生でアルペンの取締役とか Google にもいたことがあったのに、最近では Uber を1年で辞めたり、ギグワークスなんていう監理銘柄にもなった胡散臭い会社の社外役員をやっている人物の Facebook ページを見ると、過去の投稿や職歴の情報がすっかりなくなっていただけではなく、「フリーターでもお金借りる方法!審査や在籍確認も解説|今すぐお金を借りる方法!即日融資で現金を用意したいならこれ」などという、いかにも胡散臭いリソースを upvoting している。どう考えてもアクセス情報が盗まれているようだ。これもこれで別の意味で感慨深いものがある。これも、ある意味ではバーチャルな死亡と言ってもいい。せっかくウィキペディアに掲載されている本人のエントリーで幾つか事績の紹介を正確に編集したり手をいれたのに、これでは夜逃げした零細企業の社長が使っていた Facebook アカウントみたいな様子になっている。

これも以前に書いたことだが、僕の同級生と言えば当時の MZ-80B とか FM-7 とか PC-9801 といった黎明期のパーソナル・コンピュータを買えた家庭の子供が多いし、ゲーム・ウォッチだのボクシング電卓だのとガジェットが流行したら即座に買っていたため、技術者としての力量はともかく、ユーザとしてはコンピュータもデバイスも慣れているだろうから、もっとオンラインでのプレゼンスがあってもいい筈だし、プレゼンスがあるならあるで運用もしっかりできる筈なのだが、殆どの同級生はサイトもなければ SNS すらまともに使えていない(殆どの同級生は Facebook のアカウントでも公に見える投稿なんて2011年くらいで止まってる場合が多い。つまり40歳を過ぎた頃に息切れしているわけだ)。でも、たとえば大先輩である山中伸弥氏は、新型コロナウイルス感染症に関する情報サイトを短期間で立ち上げたし(もちろん当人が作業しているとは限らないが、それを言うなら同級生でも代わりに作業してくれる部下くらいいる地位にはついている人間が多かろう。要は情報発信する意欲と発信するべきものをもっているかどうかが問題だ)、もう80歳をとうに超えている筈の、当時の僕らを教えていた元高校教員ですら Facebook で熱心に投稿していたりするわけで、別に年齢とは関係ない。

しかし、これはこれで当たり前のことだろうと思う。ごくふつうに生活し、仕事に従事しているだけであれば、別に他人や世の中なんぞに向かって物を言ったり情報発信する必要などないだろうし、そんな責任もありはしない。それが実際のところは普通の人間の生き方だし、それで何がいけないのかと思う。寧ろ、僕のようにサイトを持っているような人間の方が、昔のハムをやっていた小僧とか、トランシーバーを持って山登りしていた変わり者と同じような存在であって、Twitter で御託をバラ撒いている人間の方が、政治や差別について何のメッセージを喚いていようと、変わり者なのだ。

それに、改めて考えてみると、ごく普通に生活していて自分自身の情報が知らぬ間に掲載されるなどということは、LINE の下請けが GitHub に情報を〈掲載〉するようなミスでもない限りは、そうあるものではない。僕らのように企業の経営メンバーをやっていればコーポレート・サイトに顔写真と氏名が掲載されることはあるし、自分で事業を興したりアーティストの類にでもなれば営業活動の一環として名前をあちこちに出すだろうし、研究職に就いていれば業績が公になると氏名は掲載されるわけだが、もちろん大阪屈指の進学校を卒業して国公立大学や医大を出たからといって、誰も彼もがたやすく公に名前を公表するような役職に就いているわけでもないし、そんな必要もなかろう。よって、彼ら彼女らが自分自身で Facebook か LinkedIn のように実名制のアカウントをつくらない限り、実名で検索しても同級生の情報がヒットするなんてことはない。あとは、匿名でアカウントを作っているという事実があれば、卒業後にも続いている一部の人間関係から教えてもらうという経路があるくらいだろう。僕はそういう人間関係はほぼない。親友の二人を除いて、同級生とのやりとりは全くなくなっているし(いや、彼ら二人ですら殆ど年賀状のやりとりくらいしかない)、Facebook で見つけた同級生のアカウントにフレンド申請なんてするわけもない。

そういうわけで、SNS があろうとなかろうと人間関係の推移なんて同じようなものだ。結局は〈リアルの〉人間関係として継続する意志のない同級生と〈つながり〉を維持する理由も必要も便益もないのだから、道具として幾らでも連絡する手段があっても、ユーザどうしに〈つながる〉意図がない限り、Meta がどれほど巨大企業で権力や技術や金を持っていようと、人と人を〈つなげる〉ことはできない。いくら同級生(いちおう高校では、彼と僕とで英語の発音だけは双璧だった)だからといって、和田くんに「おい、おまえアカウント情報が盗まれてるんじゃないのか?」なんて知らせることもない。

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