Scribble at 2026-08-20 08:24:56 Last modified: 2026-08-20 19:53:55

当サイトの、とりわけ「落書き(Notes、古くは scribbles と称していた)」として公表しているコンテンツでの僕のキャラというか文章の傾向として、何事かについての批判とか批評あるいは侮蔑の場合も多々あるが、要するに何か否定的で厭世的なスタンスをとっていると思われることが多い。連れ合いからも言われることがあるし、仕事については何度か役員に(社員の雑文を読んでることも驚きだが)指摘されたこともあって、それいらい P&G や電通の話題は触れないわけである(笑)。まぁ、いまとなってはどっちも殆ど仕事をもらってないし、事実については批判しようと構わないとは思うけど。

で、僕はもちろん高く評価できることは実際に評価したり褒める落書きを書いているのだけれど、比率としては非常に少ない。これは、たいていの人が凡庸であり、それどころか無能なやつすらいるという現実を反映しているだけであり、僕がわざわざ叩きやすい馬鹿や無能を探し出して晒しているわけではないということは理解してもらいたい。だいだい、なんでわれわれがそんなことをする必要があろうか。視界に入ってくる無能や凡庸を叩き落としているだけでも、こうして周囲に嚙みついている爺さんみたいな誤解を生むというのに、わざわざそう思われるようなことをして、われわれのような人間に何の利得があろうか。みなさんに「誰かれなく批判して回る面倒なジジイだと思ってください」と懇願する理由が、僕だけに限らず誰にあるというのだろう。実際には、僕の態度は、かなり常識的だと思う。

他人のやっていることを闇雲に賞賛して、なおかつ X とかでリンク付きで紹介するなんてのは、僕には気味悪い宣伝にしか思えない。どう考えても胡散臭いのだ。「めっちゃ面白い」だの「必見」だの、それを語ってるお前は何様だと言いたいような、カス大学の研究者や業界関係者やセミナー講師などが内輪褒めのツイートを投げまくってるだけだ。

そもそも他人の成果を高く、肯定的に評価しているなら、その成果を自分なりに活用して、自らの成果を出すのが筋というものである。そして、自らの成果を公にした上で、それを誰かが高く評価してくれているなら、利用した元の成果も合わせて高く評価できることだったとか、役に立ったと言えるはずである。「すごい」だの「参考になりました」だのと言ってるだけでは、エロ本を読んで一時を過ごしてる高校生と大差ないのである。おまえたち凡人が誰かの成果を本当に賞賛したいなら、それで何事かを成し遂げてからにしろと言いたいね。どのみち、自分では成果を上げることなく誰かの賞賛ツイートを投げまくってる X の認証アカウントなんて、リンク先はアマゾンの商品ページかウイルスかエロサイトかルフィの下っ端として勧誘してくるゴロツキのアカウントであろう(と、偏見であろうと断定して凡人のバカ騒ぎを切り捨てることが、われわれ哲学者が瑣事にとらわれない秘訣だ)。

学術研究においても「誰の成果を利用したうえでの研究なのか」という、典拠が大事なのも他人の成果を凄い凄いと言うだけではなく、その凄い成果があるからこそ、自分はこういうことができたのだと実際に示すことこそが学術研究の実質的な「進展」だからなのだ。もちろん、そこには誰かの成果を誤って理解したり誤用・濫用してしまうリスクもあるが、それは他人の成果を利用して自らの新しい成果を公にすることなくしては、誰からもチェックできないことなのである。

僕が、何の具体的な根拠もさらなる成果も示さずに、この前の戸田山さんの訃報に関連するツイートの山をぜんぜん評価しないのは、有名人の訃報に際してあいつらはお悔やみを言うついでに namedropping してるだけなのだ。そういうセコい連中の態度など、学術研究者、なかんずく哲学者が評価するわけなかろう。

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