Scribble at 2025-05-21 21:02:36 Last modified: unmodified

いまいろいろなところで起きている社会問題、つまり米の価格が下がらないとか、非正規雇用の人が不安定な暮らしをしているとか、あるいはテレビ局の不正なんかもそうだけど、そうしたことは、おしなべて農協、派遣会社、そして広告代理店といった、いわば卸業者や代理店といった中間業者、つまりは中抜き屋とかブローカーどもが原因になっていると考えられる。ネットですら、いろいろと起きている問題の元凶の一つは、どう考えても広告配信業者であろう。

もちろんだが、こういう中間業者が不要だと言いたいわけではない。よくある誤解だが、ネット・サービスであろうと小売業者がいないだけであってアマゾンはあるし、商品を注文すれば宅配業者が必要だ。あるいはオンライン・ゲームであってもネットワークを提供し維持している通信事業者が必要だ。物品であろうとサービスであろうと、供給側から需要側に何の中間業者も介在しない経済活動など殆どないわけで、あるとしても田舎で隣の農家からネギを買うといった瑣末で例外的な場合だけである。

だが、不要ではないからといって、中間業者がばかりがブクブクと太っていくような実情は大きな弊害が生まれるであろう。電通だけにとどまらず、中小企業や地方で展開する小規模の広告代理店がいろいろなところではたらいている不正しかり、竹中パソナをはじめとする人足屋ども・・・昨今は人材派遣業だのヒューマンなんちゃらなどと気取っているらしいが、しょせんは口利き屋にすぎない連中しかり、あるいは昔から数多くのルポやノンフィクションの著作物でいろいろな問題が指摘されてきた農協しかり。そして、これらを思想的に堂々と養護してきたのが、日本では当時の通産省=セゾン=博報堂とともに世論を誘導してきたポストモダンの文化芸人たちである。その筆頭が、バタイユの蕩尽理論や経済人類学のポトラッチ仮説を資本経済社会で浪費するための言い訳として展開していた栗本慎一郎だ。もちろんだが、浅田彰や吉本隆明や柄谷行人といった人々も、しょせんは同じ舞台で「ポストモダンをどり」を踊って金を稼いでいた点では同罪と言ってよい。そして、僕は cancel culture の支持者であるから、いまどれほど素人の思想オタクに評価されていようと、彼らの浪費を煽っていただけとしか言いようがない過去の言動が免罪されることはない。

[注記] なお、ここで disclaimer として書いておくと、僕は東京で雑誌の編集者をしていた頃に彼らの著作を読んでいた一人であって、栗本氏の著作からも影響を受けてメルロ=ポンティやフッセルの著作も手にしていた。そうして、僕が因果関係の哲学を大学で専攻するようになった経緯は他にあったのだが、アプローチとしては恩師の竹尾先生から「きみは現象学っぽい非科学的な認識論みたいなことをやっているが、因果法則は実在なのだ」と難色を示されるくらい認識論的なアプローチを優先させていた。実際、僕が幾つかの論文で展開している議論は、因果関係はマリオ・ブンゲの分類でいう認識論的カテゴリーであるという前提で反実在論を展開しており、おそらく僕自身は因果関係の分析について「意味形成」という発想を導入したところで栗本氏の影響を受けていたのだろう。だからといって持論を撤回するほどの影響を受けた覚えも証拠もないわけだが、自分自身の立論を相対化しておくための注意点としては役立つ。

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