Scribble at 2019-11-15 19:35:28 Last modified: 2022-09-29 14:49:27

母親の実家は、岩手県にある住田町の世田米という地域にある。小学生の頃は、夏休みになると母親に連れられて(事情は知らないが、父親が一緒だった事例はない)、大阪から訪ねて行ったことが何度かある。新大阪から東京まで新幹線に乗り、東京から上野へ移動して、それから特急か急行で一関まで着くと、大船渡線に乗り換えて、当時は「大船渡」という駅まで各駅停車でのんびり乗り継いで行った。なお、東日本大震災の後は、大船渡線は気仙沼駅から盛駅の区間は BRT というバスの運行区間になっていて鉄道は正式に廃止された(2019年)。よって鉄道の駅としての「大船渡」は無くなっている。

大船渡駅を降りると、印象ではいつも夕方であった。そこから、同じ地域に住んでいる親戚に車で送ってもらったこともあるが、タクシーで母親の実家まで乗った記憶もある。そして、どちらにしても当時は乗り物に弱かったので、大船渡駅前から世田米という道のりは、車酔いで苦しんだために殆ど記憶がない。そもそも、新幹線(当時はもちろん0系車両)の列車内の臭い、あのオッサンのカビ臭いスーツみたいな臭いですら気分が悪くなっていたのだから、車で山道をグルグル蛇行しながら乗っているのは拷問のようなものだった。目的地まで到着すると、すっかり夜になっていたと思うのだが、恐らくはすぐに寝てしまって初日の記憶は僅かに挨拶した事くらいしかない。

思えば、夏休みのあいだ二、三週間はそこで過ごしていたと思う。そのあいだ、持参したスケッチ・ブックにスポーツ・カーの写真を見ながら絵を描いたり、裏手を流れる気仙川という川へ降りて遊んだり、あるいは道路の反対側にある世田米中学校のグラウンドに入ったり、それから町の中心部で開催される夏祭りに行って、味噌田楽を食べた記憶が今でも残っている。あれ以降、コンニャクの味噌田楽で記憶の味を上回るような田楽を大阪で食べたことは、ただの一度もない。それだけ初めて経験した味の印象が強かったのだろう。

他に覚えていることとして、これは後から母親に何度か聞かされた話なのだが、夜に寝ていると僕が天井に何かが見えると母親に訴えたそうだ。何か炎のようなものがずっと天井あたりに浮いているらしい。そして、その翌日に隣のお婆さんが亡くなったという。もちろん、こんなことを素人のオカルト談義として片付けるつもりはないが、さりとてどういう偶然の一致だったのか、それとも母親の作り話だったのかを確かめる方法はないので(その話をした当人が昨年に死んでしまったからだ)、それ以上の詮索をするつもりもない。

そしてもう一つの記憶は、大阪へ戻るときのことだ。帰阪の際は大船渡駅へタクシーなどで行ってから列車を使うこともあったが、逆に内陸部へタクシーを走らせて、花巻空港から飛行機で伊丹空港まで戻ることもあったようだ。そして世田米から花巻へ向かう途中に、小規模な遊園地かテーマ・パークのようなものがあったらしい。そこで、ウルトラマンや怪獣の展示会をやっていて、僕を連れて入ろうとしたら、僕が中の様子を怖がって入ろうとしなかったという話を聞かされた。展示会というよりも、まるでお化け屋敷のような雰囲気に恐れをなしたらしい。最後はタクシーの運転手の入場券まで買って一緒に入ってもらったという。(ということは、つまり父親は母親の実家に行きそびれていたか、行き辛かったのだろうか。)

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