Scribble at 2023-03-26 01:17:24 Last modified: 2023-03-26 01:33:24

Yahoo! 知恵袋とか、あるいは何年か前に見かけなくなったけど、Infoseek とか色々なサイトでコピーみたいに同じ質問と答えをバラ撒いてたゴミクズみたいな Q&A サービスでもいいのだが、ああしたサイトで回答してる人の9割以上が、その質問の内容とか分野について自分では何にも調べたことがないどころか、試したり経験したことすらなくてデタラメに思い込みや想像だけで答えてるバカだというのは、もう多くの人が知ってることなんだよね。「多くの人」と言うだけでは具体性がないから条件をつけて説明すると、たとえば仕事に関連して何か調べている人が、参考に Yahoo! 知恵袋の回答を使って実際に仕事に当てはめると、素人がデタラメに回答してるんだからまともな結果になるわけがないんだよ。その仕事についてのプロを相手に何かを答えたり、仕事としてプレゼンしたり資料を作って渡したり、あるいは何かを納品しているなら、みんな痛い目に遭うはずだ。

幸運にも、僕はもともとネットを使う前から学術研究者だし、自分が知らない分野については「知らない」という前提をもっているていどのまともな知性がある人間だし、おまけに(まったく自慢でもなんでもなく有能な人間なら当然のこととして)学識があるので、Yahoo! 知恵袋などの Q&A サイトは最初にアクセスした時点で見切ってしまったわけである。そして、それがその後で改善されていようがいまいが、そんな経緯をトレースしたりフォロー・アップする義務なんて我々にはないので、初回の判断を維持して無視してもいいのだ。それが僕の言う「防衛的断定(もちろん、お好きなら「偏見」と言ってもいい)」であり、「権威主義」である。なお、まだ丁寧に論説として展開していないが、こういうスタンスについて、イージーな評論家とかは脊髄反射のように「それでは視野狭窄に陥る」とか「ものの見方が狭くなる」とか言うのだが、僕はそういう反論が仮定する逆のスタンスには一貫性がないと思う。判断を保留し続けることになるだけだからだ。確かに、判断を保留し続けてもいい事案やテーマや論点はあろう。それは、哲学者を名乗っているくらいだから分かっている。しかし、それ自体を一つの態度として貫徹できるというのは、ガキのモラトリアムにすぎない。

なので、素人が質問するネタとして、例えば有名な CMS を新聞記者のように「ワードプレス」と片仮名で表記する小学生みたいな人々が Yahoo! 知恵袋で質問しても、或る頃まではロクな答えが返ってこなかったわけであった。しかし、情報セキュリティの実務家である徳丸氏などのような人々が、あるとき義侠心みたいなもので(いや、もちろん営業とか売名が目的でもいいんだけどさ)WordPress や PHP に関連する質問に回答し始めたわけだ。すると、素人は徳丸氏が情報セキュリティでも評価の高い京セラ出身の専門家であることすら知らないので、彼の回答と自分の妄想とを比較する知識(あるいは知能)が欠落しているため、自分と同じ素人が競合相手として回答してるかのような錯覚に陥って敵愾心を抱いたりするわけだ。もういまでは徳丸氏も Yahoo! 知恵袋で回答するなんて暇潰しなどしていないだろうと思うが、もし続けているなら僕は企業の情報セキュリティの実務家として止めるようにお勧めしたい(営業とか売名が目的なら別にいいけど、はっきり言って無意味だと思う)。

しょせん、啓蒙とか啓発というものは、その対象を選ぶのだ。何百年前の宣教師がアフリカ人にキリスト教を布教していたとき、彼らの多くはそもそも布教する前に殺されていたわけだが、残った宣教師たちは、現地人の風習とか言葉を学んだくらいで布教活動なんてできない。当時のアフリカ人たちがものを考えたり理解するときの基準である frame of reference に「神」とか「運命」、いや「時間」という観念すらない場合もあるからだ。よって、啓蒙とは言っても、その歴史的な実情は、いまだ理解していない人(西洋人がアフリカ人を「人間」だと思っていたかどうかは、21世紀の現代に至ってすら怪しいわけだが)に理解してもらうというよりも、何が理解であるかを西洋風に御膳立てすることから始めなくてはならず、それは歴史の事実としては殆ど強制やマインド・コントロールや物々交換による取引によっていたわけである。つまり、何かを正しく理解してもらうためには、相手がそもそも何かを理解するということにインセンティブなり動機をもっていなくてはいけないのだ。それがあるからこそ、間違った理解は不利益となることが明白なので、正しい情報セキュリティの対策を講じる必要があるとか、正しく PHP のプログラムを記述する必要があると考えるのだ。しかし素人には、そういうインセンティブがなかったりする。なぜなら、ものを知らない人間とか、あるいはものを知ろうという欲求がない人間は、自分が「知らない」という自覚がないので、結局のところ情報を手にしているかいないかの違いしかないと思い込むからだ。正しく知るためには正しく理解して正しく考えなくてはならないけれど、素人に限って自分がものを知らないということの意味を情報を持つかどうかの違いに矮小化しているのである。よって、その差は僅かであるがゆえに、掲示板で三行ていどで書けるような情報を相手に回答させたら終わりなのだ。

したがって、僕らのような実務家、そして僕らのような学術研究者は、プロも素人も同じようにしか素人の目には映らない CGM においては絶対に負けるのだ。バカに限って、そもそも長々と書くことがないので、シンプルで「分かりやすい」回答を書くからである。

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