Scribble at 2022-12-15 18:53:34 Last modified: 2022-12-22 11:49:46

随分と古い話をするようだが、森浩一先生が出演されていた『真珠の小箱』を録音したカセット・テープがあった。これはデジタル化しておきたいので、ラジカセ(ラジカセを持ってるのも、いまとなっては珍しいわけだが)から 3.5 mm のケーブルでコンピュータの IN 端子につなぎ、Windows に標準で付属しているサウンドレコーダで WAV ファイルとして録音した。スマートフォンで聴くために、これを更に Adobe Media Encoder 2023 で MP3 に変換しておいた。

残っていたのは、「箸墓」の回である。森先生は「箸墓(古墳)」と呼ばれているが、後年は彼自身の方針に沿って「箸中山古墳」という呼称に変更されている。聞き手は「さいとうひでお」という人物だが、喋り方からして発声が違うので毎日放送のアナウンサーだろうか。気の毒ながら、僕らにすれば「さいとうひでお」と言われても、チェリストの齋藤秀雄氏(小澤征爾氏が長らく指揮を執ったサイトウ・キネン・オーケストラの由来となった人物)しか印象がない。

それから、この回も含めて『真珠の小箱』に関する放映データというのは、ほぼオンラインには存在しない。何年か前に、放送一覧の一部を公開していた個人サイトがあったような気もするが、もはや検索しても出てこないので、年配の方かもしれないしサイトが閉鎖された可能性もある。何度か書いているようにウェブ・ページやオンラインのデータベースというのはインターネット接続が普及した1990年代の後半までの情報は圧倒的に少ない。ということで、このエピソードが第何回目の放送であるかは分からない。また、僕が考古学に没頭していた時期の録音であろうから1980年代の中頃だとは思うが、正確な放映年月日も不明である。

それから、当サイトでも幾つかのページでご紹介している足立巻一氏が番組の構成を勤めていたことは確かなのだが、彼自身の発表した作品では番組について殆ど触れられていないため、この番組とのかかわりだとか、出演者とのエピソードなどは不明である。二千回を超える長寿番組で放送回数も多い番組だったのだが、関連する資料や本もわずかだし、番組に携わった人々の話も少ない。近畿日本鉄道や MBS にすら資料が残っていない可能性もある。こういう状況を眺めていると、マス・メディアというのはどう考えても刹那的で、リアルタイムに観ている人たちに何らかの印象とか感情を残したとしても、しょせんはそれが社会とか世代を通じて広がったり継承されたりはしない(継承されても瞬く間に「逓減」して影響力が消えてしまう)という強い印象がある。もちろん、多くの国々で古典と呼ばれる成果が丁寧に保存されたり継承されたり図書館や博物館で保管されたり、あるいは色々な出版社から何らかの形で出版され続けたりするのも、それをやり続けないと人や人の社会なんて自分たちの知見や経験を簡単に忘れてしまうからなのだろう。

でも、足立氏について言えば、彼はそういうことが最初から分かっていて夥しい数の仕事を続けてきたような人物だったのだろうと思う。いまでこそ『やちまた』という作品で一部の人々には強いインパクトを与える業績を残したと言えるわけだが、たとえ彼が『やちまた』を書かなかったとしても、たぶん彼は同じことを同じスタンスで続けていたのだろう。そして、仮に『やちまた』という作品が世に出ておらず、僕らがそれを全く読む機会に恵まれなかったとしても、正直なところそれが何なのかという(必ずしも諦観という意味ではなく)割り切りがどこかにある人物だったと思うのだ。彼の死生観について幾つかの私見を読んでいると、そう思える。

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