Scribble at 2024-07-28 16:36:19 Last modified: 2024-07-28 18:56:49

いまだに多くのビジネス雑誌が、戦国武将に経営を学ぶ的な記事を書きまくっている理由というのは、それが完全に過去の出来事や事績であって、武将がやったことと事後に起きた出来事とを都合よく並べて勝手なストーリーを幾らでも作り出せるからだ。

おそらく最近だと、戦国武将の経歴で起きた A という出来事と、その後に起きた B という出来事(良い結果だけでなく悪い結果のパターンもある)との組み合わせを用意しておき、「A ゆえに B であった。しかるに経営においては A に気をつけよう」などというテンプレを ChatGPT にでも食わせて、数十年分の原稿をあらかじめ用意しているのではあるまいか。というか、俺が『プレジデント』や『東洋経済』や『ウェッジ』の編集ならやると思う。そして、あらかじめ出力しておいたストーリーを適当な大学で教えている適当な人間、あるいは歴史について何か書いているクズみたいな物書きに下書きとして与えて、彼らの原稿として掲載するわけである。

これには、もっと複雑なテンプレも作れる。「A ゆえに B であったが、C という結果になった。ゆえに A だけでなく B にも注意しよう」みたいに複数のインチキ因果関係を組み合わせたり、あるいは「A ゆえに B であったが、別の武将が C をしたので D となった。B となっても C がありえるので、A だからといって不安になることはない」みたいな文章も書ける。

というか、こういう記事を僕らは小中学生のころから書店で眺めては、こんなものを暇潰しですら読もうとするサラリーマンや経営者に辟易していたものだった。しかも僕は、かつては研究者を嘱望されていた、「小さな」という形容詞をマスコミ風情に付けられることすら無礼と感じるような(アマチュアの)考古学者という自覚があったので、こういう歴史の出鱈目な扱いにはなおさら憤りすら感じていたわけである。ただ、いまは特に何も思うことはない。なぜなら、既に何十年もの事実の積み上げによって、徳川家康の「戦略」なんて記事をどれだけ読もうと、無能は無能だし馬鹿は馬鹿なのだということを、おおよそ若者の多くは知っているからだ(というか、こんな記事を読もうとすること自体、自分の頭でものを考える力がないという自己証明のようなものだ)。昨今の多くの企業による不正行為だとか、経営者によるハラスメントなど、結局は雑誌が書いている「戦略」なんてものは、せいぜい対外向けに威勢のよいプレゼンをするためのハッタリであるか、あるいは違法行為をものともしない自社都合だけの手練手管にすぎないと見透かされているだろうと思うからだ。僕は、こういうものをいまだに熱心に読んでいる愚かな管理職や経営者には大して期待していない。さっさと不正の褒美として会社から退職金をもらって出て行ってもらい、長野か愛媛あたりで週末だけのパン屋や焼き芋屋や独りよがりな運営方針の本屋でもやって死ねばいいと思う。そして、おそらくそういう人々が死んでしまえば、こんな記事なんていまの若者たちが大人になる頃には見向きもされなくなるという気がする。

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