Scribble at 2023-11-12 12:23:07 Last modified: unmodified

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95% of the information on the web is written language. It is only logical to say that a web designer should get good training in the main discipline of shaping written information, in other words: Typography.

WEB DESIGN IS 95% TYPOGRAPHY (2006)

Hacker News で取り上げられていたときは、これまた挑戦的なブログ記事だなと思ったものだが、2006年に公表された記事らしいので、こうなってくると「いまでもそう言えるのか」というコメントが Hacker News でぶら下がるのは当然だろう。しかし、僕にはそういう問題ではないとも思える。

なぜなら、ブラウザに表示されるということをウェブ・コンテンツのユーザ・インターフェイスの問題として考えると、そもそもスタイルシートがないと仮定した場合にも同じことが問えるだろうかと思えてしまうからだ。そして、そうであってもコンテンツとして伝達するべきだと考えて良いのかどうかという問題もあろう。なぜなら印刷物としての小説というメディアに、アニメ作品や漫画作品が自分たちの別の表現場所だと考えて続々と参入してくるかと言えば、そんなことは昔もいまも、そして将来もありえないからだ。メディアというものは、やはりそこで表現したり伝達することが適切だと思った人々が利用するのであって、そういうメディアを必要としない人に無理やり使わせるわけにはいかない。全てのガンダム作品をスマートフォンのゲームとして配信しろとか、あらゆるラノベをアニメ化しろとか、そんなことは誰も誰にも要求できない。同じく、全ての学術研究者が自分の研究成果をブログで語る責任などないし、全ての個人に X や LINE のアカウントを作成させて発言させる権利なんて、誰にもないのである。

したがって、typography が重要だとは言っても、情報発信にとって typography が本質的に重要なコンテンツにおいては typography が重要だと言っているだけなら、それは typography を重視するデザイナーの自己正当化にしかならない。よって、typography としての presentation をウェブ・ページにおいて実現するためには必須と言えるスタイルシートがブラウザで仮に実装されていなかったとしても、同じことが言えるかどうかを考えてみればよいわけである。実際、2000年代に入る前の Mosaic などが実現していた presentation なんて、せいぜいヘディングごとに文字の大きさを変えたりできたくらいである。しかも、これはブラウザのディフォールトの presentation であるから、デザイナーが typography として何を言おうと好き勝手は出来なかったわけである。font タグですら、1995年にリリースされた Internet Explorer のバージョン2.0で始めて実装されたのだ。

恐らく、そういう時代にデザイナーができたことと言えば、僕が思うには typography の概念に訴えるような presentation ではなく、syntax として妥当な範囲でコンテンツの論理構造を適正に設計することに限られたであろう。そして、それもまた presentation という脈絡とは異なる脈絡で、"semantics" と呼ばれる情報設計なのである。こうした、結局は HTML や CSS の基礎になっている離散数学や記号論理学のアイデアを理解していなければ、結局のところ typography を語っていても底の浅い議論にしかならないわけである。デザイナーであろうと IT やウェブに関わっている限り、基本的な数学をやらないといけないという理由は、こういうところでもお分かりだろうと思う。

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