Scribble at 2024-05-23 11:31:22 Last modified: unmodified

添付画像

山川恭弘『バブソン大学で教えている 世界一のアントレプレナーシップ』(講談社、2024)

数日前に出社したときの昼休みは、久しぶりにジュンク堂の大阪本店へ足を向けた。実店舗を歩き回らないと、アマゾンなんかでは新刊を見つける楽しさがまるでないので、一ヶ月に1回ていどは天満橋のジュンク堂だろうと本町の紀伊國屋だろうと、大型店舗へ行くようにしている。もちろん、いまさらこの年齢でデタラメに歩き回って見つけた本を読み漁るほどのお金も時間もないわけだが、少なくとも僕が守備範囲にしている分野の棚はなるべく見て回るようにしている(それでも、常識的な範囲を遥かに超える守備範囲だとは思うが。落語、量子力学、管理会計、ネットワーク技術、洋書、マーケティング、人類学、動画編集、書道、高齢者福祉、高分子化学、下水道整備、文房具、脳神経科学、アジア文学の棚を見て回る人は、そういないだろう。もちろん、文庫や新書の新刊も見て回るし、たまに少女漫画の棚も眺める)。

で、そういう中からなるべく国内で公刊された書籍はアマゾンじゃなくて実店舗で買うようにしている。上記も書店で買い求めた一冊だ。とは言っても、たまたま見つけたというよりは「見つけたら買っておこうかな」と思っていた本である。なぜなら、著者は当社の顧問だからだ。

ぶっちゃけ、この手の本は数年前に何十冊も読んだし、それまでも、そしてそれからも自己啓発や起業やマネジメントに関わる本は色々と買ったり読んだりしている。したがって、本書に書かれている内容も大半が奇抜でもなんでもない、これまで夥しい数で世に現れた encouragement の本である。ただ、それぞれの本には、著者が違うのだから当たり前だが、それが書かれた経緯だとか動機だとか目的というものに微妙な違いがあって、その違いは必ずしも真偽や程度の高い低いという違いではない。要は、世の中にたくさんの教科書や参考書があるのと同じく、どう書けば誰に響くのかが誰もよく分かっていないからこそ、色々な人が同じテーマについて色々なことを書くことで、読み手の才能や意欲と encouragement のメッセージとがマッチするチャンスが増えるということなのだろう。社会科学的なインパクトというものには、言葉は悪いが、「数撃ちゃ当たる」的な実態があって、そういうチャンスに賭けるしかないというところもある。だが、本書にも書かれているように、そういうチャンスを「見通しが立たない」と言って毛嫌いしていては結果にならないわけなので、わずかなチャンスでも色々な人が色々なものを書いているわけである。それぞれの著者は、まさか自分の書いたものがピーター・ドラッカーやジム・コリンズやジョン・マクスウェルの著書に匹敵する影響力をもつなんて期待も想像もしていないだろう。でも、その 1/100 の影響力でも、1人か2人の人が影響を受けて何かをやり始めたら、他人に影響を与えるのだから恐ろしいことではあるけれど、決して無駄ではなかった可能性がある。

僕も、そういうつもりで社内の研修をやっているつもりではある。そして、本書では「夢」というかビジョンの大切さが何度も説明されていて、僕も自分が大学で専攻した科学哲学のテキストを常識外れなスケールで提供したいという意欲なり夢なり、あるいは野心のようなものはある。それこそ、高校数学からはじめて大学院レベルの数学や物理学や論理学まで解説したうえで科学哲学を展開するという、日本の出版社の経営事情や編集慣習から言えば殆ど出版できない規模の教科書だ。大雑把な計画だけでも数千ページになる。しかし、丁寧に少しずつ読んでいけば、実は数千ページなんて2年ほどで読める。そして、学問の基礎を2年で整えられるのだから、自習書として考えても標準的な内容だと思う。何度も言うが、アメリカだったら、この程度の密度と分量の教科書なんて珍しくもないんだよな。さすがに高校数学から説明する科学哲学の教科書はないとしても、precalculus から学部レベルの解析学まで説明する教科書なんてザラにある(self-contained で授業の代わりにもなるので、それなりに値段も高いが)。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


共有ボタンは廃止しました。