Scribble at 2020-03-22 11:29:55 Last modified: 2022-10-02 22:56:38

入力されるビットとしては、デジタル化された電波信号、音声、カメラからのピクセル、GPS受信機や加速度センサによる測定値、タッチスクリーンでタイプされたテキストや方程式などがある――万能チューリングマシン的な意味で「あらゆるもの」だ。

コンピュータって: 機械式計算機からスマホまで

本書は以前も当サイトで紹介したように、コンピュータの歴史をコンパクトに扱った良書だと思う。なお、帯に「ド文系でも読める」とあって、おそらく数式が出てこないというていどの理由でセールス文句を書いているのだろうとは思うが、一部の文章については、「ド文系」どころかコンピュータ・サイエンスの素養がないと、脈絡を正確に理解するのはむつかしい箇所がある。

たとえば、上記の引用は pp.195f. の一節だ。これは、そもそもチューリング・マシンやチューリング・マシンの類別(その類別が何を意味しているのか)を知らないまま正確に理解できる文ではない。「現実のコンピューティング環境において処理可能なあらゆる種類のデータ」とでも言えばいいものを、わざわざこう書くということに特別な効用があるのだとすれば、考えられる想定は二つある。一つは、もし本書がコンピュータ・サイエンスの素養がなくても読めるという前提で書かれているなら、この個所はそういう前提を忘れて書かれており、そして MIT 出版局のレビュアーや編集者も(たいていは同じ分野の素養がある人たちなので)当然視して見過ごしてしまったという可能性がある。

そしてもう一つは、敢えて教育的な配慮として分かりにくいまま表現しておき、読者が困惑しながらも何か重大なことを言っていると感じて、更に進んで勉強したり調べてくれることを期待してわざと難しく書いたという可能性である。しかし、僕はこの個所については前者が正しいと思う。更に勉強してくれることを期待してわざわざ注釈すらついていない無定義の専門用語で説明するというのは、アメリカでは当たり前のようになっている情報への「アクセシビリティ」という理念に反しており、そのような《体育会系》の身勝手な理屈で読者を意図的に突き放すのは、寧ろ現代のアメリカの出版文化においては「差別的」とか「スノッブ」とすら非難されるような態度であろう。そういう方針で出版物を編集する人がアメリカにいるとは思えない。

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