Scribble at 2024-05-02 16:29:13 Last modified: 2024-05-03 17:24:39
僕は、「観光立国」なんてまったく許容できないんだよね。なので、こんな方針を国として掲げて、色々な政策に予算を割り当てたりするなんてのは、断言してもいいけど国家規模の緩慢な自殺行為だと思う。
いくつも理由はあるが、まず第一にはっきり分かることとして、観光を国の主要な産業と位置づけているのは、はっきり言えば南半球の後進国だけだ。イタリアやフランスが観光立国でなくとも人を数多く集めているのは、観光のためではない国の文化政策などが最初からグローバルな価値を持っているからであろう。たとえば建築物の外見や高さを制限する法令などは、別に観光客が一人もいなくたって自国民、しかも自国内の観光客ですらない地元の人々にとって伝統的な街並みを維持するという点で有益なのだ。これに対して、国内どころか数日ほど滞在するだけの外国人のために法律をつくったり公的な予算を投じて何かやるなんてことでは、地元の人間の生活と関係のないオーバー・ツーリズムになるのは当然である。そして、後進国の多くはお金と引き換えに自分たちの生活や文化を切り崩して一元客に売り渡しているわけである。日本、そして日本人に、そんなことをする事情や理由が本当にあるのだろうか。
第二に、残すべき文化とか景観とかサービスとか芸能や技能といった「見世物」を国の補助の対象として国が決めるという事自体が、大きなお世話であり、文化(盛衰)に対して人為的な介入である。よって、たとえばアニメ産業について国が何らかの助成をするというのは、僕は好ましくないと思っている。アニメ産業において言われている重労働や安月給というのは、特定の産業だけに起きている問題ではないからだ。たまたま頭のおかしいフランス人にアニメがもてはやされているからといって、アニメ産業だけに何らかの特別な補助をするなどと言っても、下請け構造とか長時間労働などといった、およそ産業の区別なくどこにでもある問題を解決するという意志が政府や行政になければ、制作会社や声優のプロダクションに助成金を出したり、引退した人々をアニメ関連の施設にキュレーターなどとして雇ったところで、問題の解決にはならないだろう。それに、その手の補助金というのは ODA と同じで、一番最初に受け取る連中が大半をさらってしまう。ODA の場合はアフリカの外交官がフェラーリを買うのに使ったりするわけだし、仮にアニメ産業の助成金が出るような政策が実行されても、たぶん個々に配分するのは手間もコストもかかるので、「受け皿」や「窓口」として電通や博報堂や ADK が大半の助成金を管理コストとして中抜してしまうであろう。もちろん、官僚は実績づくりの証拠があればいいわけなので、そんな実態など知ったことではない。何年か経ってから、日本の社会学者とか岩波系の経済学者がギャーギャーと騒ぐだけだと高をくくっている筈だ。
同じ理屈から言って、たとえば国際的な団体が「消滅間近の言語」なんてものを指定して、レッド・データよろしく警告するなんてことをやっているようだけど、だからなんなんだという気がいつもしている。日本にも、もちろんアイヌ語を初めとしてネイティブ話者が急速に減っている言語や方言があって、それらを残す「べき」だという理屈は気軽に誰でも言える。でも、そんなこと言ってるあなたは、アイヌ語の辞書を持ってるんですかと聞くと、アマゾンで検索してみたことすらないなんて人が大半だろう。言っておくが、このような話題は外野がベキ論を言って済ませられるものではないし、こういってよければベキ論は逆効果になるのだ。なぜなら、べき論を言うことだけで一定の社会的な責任とか、いい人ぶったポジションが確保できるというメッセージングになってしまうからである。それを眺めている子供も、やがてはそうした口先だけの意識高い系を音声として発したり文字としてタイプさえできれば、人から非難されない安全地帯に場所を確保できると考えてしまうに決まっている。多くの大人がそういう建前のベキ論ばかり言うと、あるいは一部の奇特な人々がアイヌ語を習得したりアイヌ語の辞書を作ろうと努力している姿を指して称賛するという NHK 的な実感のこもらないポーズを子供に見せているだけでは、子供にはそういう悪影響があるのだ。
ということで、観光客が喜ぶような見世物だけに助成して国全体の問題を軽視する傾向を助長することになり、結局は国力が総じて低下したり地盤沈下を起こす遠因になるというのが僕の予測だ。したがって観光政策なんてものを採用したところで国全体の活気が高まる事例なんて、おそらくどこにもないであろう。せいぜい半世紀後には、ガンダムのキャラやサムライのコスプレをしてりゃ小銭が稼げるというチンピラだらけの国になるだけだ。