Scribble at 2026-07-15 11:23:31 Last modified: unmodified

かなり前に PHILSCI.INFO で書いたことだが、僕はアマチュアであるというまぎれもない事実から、プロパーと同じような社会的な責任や職責を文章に負っているわけではない。しかし、たいていのアマチュアというのは、自分がアマチュアであるという事実に依存したり甘えているところがあって、自律的な研究基準や研究倫理の確立に無関心だったり、文章力や論証についての研鑽を軽視したり、とにかく素人や無名であることに甘えているようなところがあると思う。僕は、考古学をやっていたころに、原田大六という九州の著名なアマチュア研究者のスタンスを支持していたことがある。この人物は、考古学ではよく知られている話だが、(あくまでも当時の)九州大学の偽の権威主義と言うべきものを歯牙にもかけず独自に基準や方針を打ち立てて活動していた研究者であり、学説なり成果には多くの疑問があるにしても、研究者としてのスタンスには学ぶべきことが多々あった。いまでは、彼のような偏執的と言ってもいいような取り組み方を、すぐに「おたく」などと称する向きもあるが、おたくは既存の権威と対立なんかしない。僕の見立てでは、とりわけアニメおたくや漫画おたくや SF おたくなんてのは、自分たちで勝手に作ったコミュニティで偽の権威をでっち上げたり、早い話が学歴もないくせに学者の真似事をしたがっているだけのチンピラにすぎない。好きなものを好きなだけ調べたり集めたりするような、或る意味で「純真な」人々は、そもそも「おたく」などと呼ぶ必要はないわけであって、昔からある好事家だのファンだのマニアだのと呼んでいればいいだけなのである。

さてしかし、逆にプロパーと呼ばれる人々はどうかというと、僕は彼らの多くも相当に出版業界や教育行政への依存だとか甘えがあると言わざるをえない。何かを書けば、どこかの出版社が本にしてくれて大勢の人々が買ってくれるということを前提に、物事を研究したり文章を書くというのは、僕にはどう考えても産業ロボットのふるまいにしか見えないわけである。したがって、僕らが書店で見かける多くの著書を世に送っている人々というのは、もう自分の書くものが公になって収入になるという前提で特定のテーマを扱い、特定の本を出しているのであり、学術であろうと思想であろうと文学であろうと、その活動どころか生き様ですら、出版という産業にどっぷりと漬かっているように思える。こういう人々の書くものが、文体からテーマの設定から論旨の運びかたなどに至るまで、得てして予定調和となるのは当然であろう。それが出版社や読者の期待するところだし、ひょっとすると本人ですらそういうものを書く他にないわけだからである。しかし、それではまるっきり生成 AI と同じ次元の営みである。

かようにして考えてくると、そろそろ流行も沈静化してきているようだが、「独立研究者」などという新手の名札をつけて、しょせんは人脈とか SNS でのフォロワー数とか、どうでもいい事情で編集者に注目してもらい本を出したいというだけの、ギラギラした欲望や野心の塊みたいな連中が学術研究者の仮面をかぶっている様子は、笑止千万という他にない。こういう連中こそ、実はプロパーだけでなく、僕らアマチュアの学術研究者からも程遠い動機や経緯で物事に関わっているわけであり、これまで述べてきたような自律した研究プロセスや基準を打ち立てる見込みなど全くない。

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