Scribble at 2021-05-13 15:24:37 Last modified: 2021-05-14 10:51:44

よく日本の大学生とアメリカの大学生を比較する話があるのだけれど、丁寧に調べたら誰でも分かることだが、アメリカの大学生と言っても色々だ。ハーヴァードやプリンストンのようなエリート養成校の学生もいれば、コミュニティ・カレッヂといったカルチャー・センターの延長みたいなレベルの学校で学ぶ人もいる。概して、1/3 くらいはドロップ・アウトしており、その理由は (1) 成績不振か、(2) 他のやるべきことが見つかったり起業するからか、(3) 授業料が払えないというものだ(ただしアメリカには奨学金制度がたくさんあるので、授業料が払えない根本的な原因は、奨学金が受けられないほど成績が悪いという (1) だったりする)。これに対して日本の大学生で中退する人の割合は 10% もない。もちろん、その理由は中退すると就職する道の多くが絶たれてしまうから無理矢理に行ってるだけだったり、奨学金をもらい続けることで家計を助けている事例も多いからだ。よって、中退率が低いからといって日本の大学生がアメリカの大学生よりも平均して優秀だったり勉強熱心だという理屈にはならない。

また、しばしば『ペーパ・チェイス』とか『ペリカン文書』のような映画でも描かれているように、アメリカの大学生は夥しい量の本を読むと言われることが多く、これは確かに多くの学科では事実だ。それとは逆に、日本では大学院生ですら授業や演習で必要とされる読書の量は少ない。僕の経験を紹介すると、関西大学の修士課程(博士課程前期課程)ではクワインの Pursuit of Truth を購読していた。これは 130 ページていどの薄い本だが、1年間の演習で半分くらいしか進まなかった。もちろん、演習時間の多くは内容について竹尾先生の解説が展開されるのに使われていたので、たいていの人文系の「購読」と呼ばれる演習の進み方として標準的だろうと思う。そして、神戸大で森先生とやっていた演習でも似たようなものだったし、doctoral の演習は僕が自由に何か本とか論文を読んできて、その内容を元にして先生とディスカッションするというスタイルでやっていたため、逆に何かを読んだ成果しか求められなかった。よって、何かを読んで議論するというアメリカ式の演習は、僕が博士課程でやったように教員と学生がサシで進めるような状況でなければ難しい。しかし、だからといって読む量が増えるわけでもない。いずれにしても、訳文を持ち寄って答え合わせするという手順が必要(と思いこんでいる教員が多い)という馬鹿げたスタイルを維持し続けている日本の大学では、なおさら読む量は少なくなってしまう。

そういう状況に比べて、読んで何を議論するかがポイントなのだから、アメリカの演習で求められる読書の量が多くなるのは当たり前だろう。もちろん、1ページだけ読んで1時間の議論を展開できるのも事実だが、演習で求められるレベルの議論とは、1ページで展開できる議論を100ページ分だけ積み上げた結果なのだ。それだけの量を積み上げた者どうしが演習でお互いの成果を突き合わせることが求められるのであり、1ページの内容について、お互いがもつ経験とか過去の読書体験で積み上げた蓄積に基づく〈解釈の差〉を比べることが演習の目的なのではない。実は1ページごとにそういう対比を積み上げても、人文・社会系の議論では水掛け論に終わったりするからだ。お互いの経験を尊重はするものの、必ずしも経験は議論を正当化する理由にならないということが分かっているのは、アメリカの学生が色々な出自や人種で構成されているからなのである。これに対して日本の大学で展開される演習が、一箇所で立ち止まって細かい(ひょっとすると些末な)論点に固執してもよいと無頓着に思われがちな理由は、(もしかして〈単一民族〉であるという錯覚ゆえに?)どこかで経験として一致する基盤がある筈だという馬鹿げた思い込みがあるからではないだろうか。確かに、これはこれで多くの場合には問題のない演習として展開する。お互いに同じような錯覚があって、演習そのものが一種の集団催眠に陥る可能性が高いからだ(おまけに、演習をリードしている教員の多くも凡人である)。

ともあれ、アメリカの多くの大学では非常に厳しい修練を積み上げて、卒業するかドロップ・アウトするかの極端な差が生まれる。日本のように安易に留年するような人が少ないのは、もちろん学費が高いからでもある。授業料は、平均すると日本の私立大学と比べて有名大学になると3倍くらいになる。そして、アマゾンでテキストを買ったことがある人なら知っているように、self-contained なテキストを買う場合は1冊で日本円にして20,000円くらいの出費だ。図書館で借りられる本も多いが、教科書だと図書館が何冊も置いてる筈がないから競争になりうるし、second used な本も手に入りにくい場合があるので、書籍代はかなりかかる。1年留年するだけでも相当な出費となるので、日本の大学生に比べたら単位を落とすことへのプレッシャーは強い。(もちろん、アメリカの大学も程度の差は色々とあるので、俗に "Mickey Mouse" と言われるような講座もある。)

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