Scribble at 2021-09-03 11:47:34 Last modified: 2021-09-27 13:51:40

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8月に読んでいたビジネス書のどれだったかは忘れたが、確かニューヨーク市警を指揮したウィリアム・ブラットン(Bill Bratton)を高く評価していた本があった。『ブルーオーシャン戦略』だったか。ブラットンは、いわゆる「割れ窓理論」の信奉者ということなので、もちろん眉に唾をつけて色々とブラットンについて調べていたのだが、どうもよく分からない人物だ。(ニューヨーク市警を辞めた後の天下り先がヒラリー・クリントンと関連のあるコンサルティング企業だという。)

ただ、いま読んでいるハイフェッツらの『最前線のリーダーシップ』では、マイノリティーへの違法な暴行や過剰な取締と引き換えにニューヨークの犯罪率は劇的に低下したと解説されている。もちろん、低下した数多くの犯罪が、マイノリティーの中にいた多くの人物によるものだったのは事実であろう。しかし、犯罪者と一緒に罪のない人々を殺してまで〈白人の安全〉が守られるべきなのかどうかは、いまとなっては重大な焦点となろう。僕らは呑気にアジアの僻地で他人事のようにお喋りしているが、僕は少なくとも現在のアメリカには行きたくない。

なるほど、ブラットンの業績をリーダーシップの一つの成果として、狭い価値観だけで評価して分析したり称賛する人がいてもいいだろう。我が国でも、「メンタリスト」を名乗る若造だとか、コールド・リーディングと呼ばれる詐欺師のテクニックがオンラインで色々と紹介されたり、あるいはヤクザに学ぶどうのこうのという本が何度でも出版されるし、ヘイト本も同じく「言論・出版の自由」と称してバラ撒かれている。そして、得てしてこんな本を喜んで手に取る連中が、和服姿の女性やファンクな格好の言論女子に「美しき(その意味は、「在日朝鮮人とアイヌと生活保護受給者と社会学者のいない」ということだろう)風土」などと Facebook で慎ましい戯言や威勢のいいクズ正論を書かせたりする。自分たちの良かれと思う目標にとって有効なマネジメントやリーダーシップの教えであれば、それを活用しない手はない。ヤクザが使うなら、われわれも〈同じ手法〉を別の目的に〈同じように〉使って何がいけないのかというわけである。

しかし、それは後知恵ではなく評価する当時においても、やっていることが正確に分かっている場合に限る。そして、それらが本当に〈同じ手法〉として〈同じように〉使えるなら、だ。黒人やアジア系に過剰な暴行や威嚇を増やした上での成果だと分かっていても、それでもその手法にリーダーシップとして学ぶべき点があると形式的・抽象的に議論できる場合に限るのだ。しかしながら、たいていのビジネス本は、或る思想なり学説なり現実の経営者を評価する根拠が、リーダーシップの形式的・抽象的な特徴が良い成果にも悪い成果にも〈効果的に〉発揮できると、十分に論証できていない。いや、そういう観点で論証しようとすらしない。ビジネス本の著者の大多数は、「高い業績」という、最初から具体的な良し悪しの評価ができない金銭なり数字しか評価の基準にしようとしない。だから、哲学者から見た経営学は、社会科学としていまだに三流だというのだ。

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