Scribble at 2026-02-04 20:16:58 Last modified: 2026-02-04 20:24:29

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これなんかも、いかに日本人がマスコミから出版社から政治家、いやそれどころか学者に至るまでが「民主化」や「民主主義」という概念を杜撰にマーケティングのフレーズとしてしか使ってこなかったかが、こういう一例でもよく分かると思うんだよね。

僕は学部は法学部法律学科だったので、もちろん政治学や政治史も履修している科学哲学者だから言えることなのだけど、このように歪んだ理解の仕方は既に修正不可能だと思う。それこそ、僕が常々使っている「社会科学的なスケールで言って」、何百年が経過しても本来の(もちろん「民主的」であることが直ちに何でもかんでも正しいとは言っていない)概念で広く理解されるようになるとは思えない。

とにかく、一定の訓練なり修練を経たか天賦の才をもって音楽を作詞したり作曲しているプロのミュージシャンやアーティストの作品を吸い取った生成 AI を利用して、そのへんに蛆虫と同じくらいいる YouTuber やニコ動や SUNO AI のインチキ・アーチストどもが、出来上がった曲の表面的なプレゼンテーションだけでプロと同列に扱われるなんてことは、やはり生成 AI のユーザである僕から言っても健全ではないと思う。

やはり生成 AI のユーザは、それがたとえプロのミュージシャンが使うのであっても、やはりそれはリソースである多くの人たちの成果の蓄積があってこそのパフォーマンスなんだよ。僕はそれを(いちおうプロのデザイナーの端くれとして)分かってて Z-Image Turbo や FLUX.2 を使ってるし、ACE-Step も NotebookLM も Gemini 使ってきたわけで、次々に出てくるモデルをもらって乞食よろしく喜んで騒ぎ回るだけが取り柄の IT ジャーナリストどもや小僧の言ってることなんて、そのうち自分たち自身で共食い状態になって発散してしまうだけだと思うね。

どういうことかというと、既に3年前から画像では500万枚以上を作り、SUNO AI でも3,000曲以上を作ってきた経験から言って、確かに「よいもの」はたくさん作られるのだけど、人は「よい画像」が1万枚あったところで嬉しくもなんとも無いのだ。「よい曲」が1,000曲あっても、それ全部聴くの? ってことなんだよ。

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