Scribble at 2024-12-06 16:38:45 Last modified: 2024-12-07 08:26:40
古本で手に入れた本だ。いまざっと目を通しているのだが(この本が推奨しているように、そういう読み方でいい)、著者は何か思い違いをしているような気がする。
確かに著者が言うように、多くの人は洋書だからといって、ふだん日本語の文章を読むときとは違って構えてしまうことがある。そして、ひとつずつ単語を翻訳しようとしてしまい、かえって些細な変則的と言ってもいい表現に躓いたり、些事に固執してしまう。でも、僕ら自身が日本語の本を読むときは、それまでの脈絡と強い関わりがなさそうな名詞を無視して読み飛ばしたり、前の文を受けて肯定したいのか否定したいのか疑問を述べたいのか、あるいは更に詳しく説明したいのかによって、読み飛ばしたりすることもある。著者のスタンスだけに関心がある人にとっては、「これはつまり…」なんていう詳しい解説はどうでもいいからだ。あるいは未知のことがらを詳しく知りたい人は、逆に「これはつまり…」の箇所に着目して、著者がどう思っているかなどに関心はなかったりする。なんにせよ、そのように僕らは色々な仕方で、或る意味では読んでいたり読んでいなかったりするものだ。
だが、それが事実だからといって、著者のように外国語の文章を読むときにも同じことを「すべき」であると言ってよいのかどうかは別だろう。日本語でそのように本を読むことは、正当どころか自然でもなく、多くの凡庸な人々が本を「きちんと読めていない」実情をなぞっているにすぎないとも言いうる。日本語で読むみたいに飛ばし読みで良いというよりも、寧ろ日本語で読むみたいに飛ばし読みするからこそ多くの人は洋書どころか日本語の本すら適切に読めていないし活用もできていないのではないかと疑うほうが健全ではないのか。
ちなみに僕も中学時代にラダー・シリーズだかラダー・ブックスだかという使用単語の少ない副読本のシリーズを多読していたことがあったけど、すぐに Newsweek を親に購読してもらって読むようになった。もちろん Newsweek の方がはるかに難しいわけだが、しょせんは子供向けの「教材」を読むよりも、読む価値のある文章を読むほうがモチベーションが続くというものだ。