2018年01月21日に初出の投稿

Last modified: 2018-01-21

直木賞の選評が掲載されているサイトで『宮地家三代日記』の評を読んでみたが、やはり僕の感想と似たものが多かった。僕がこの「作品」を目にして、いちばん面食らったとも言い換えてよいのは、これが宮地仲枝らの日記をどれくらい正確に現代語へ写しているのか、それとも著者の創作がどのていどまぎれているのかが、全く文章から判別できないことである。僕は、鹿持雅澄の師としての宮地仲枝がどういう人物であったのかを知りたくて買い求めたのだが、この作品が成立した経緯を読んでみると、そもそも日記のオリジナル原典は空襲で失われてしまい、それから写したノートが何人かによって保管されているだけらしい。よって、何と比べて正確だの何のと判定すべくもないのだから、これは最初から日記体小説として書いてもらったほうがよく、評者の何人かが述べているように、いたずらに復刻調の体裁をとってしまったがために小説としても中途半端なものになってしまっているのが残念だ。

また、広く読者を得るためには朱子学の素養を少しずつ伝えるような仕組みも必要で、これでは読む方が最初から思想史の素養をいくらか持っていなければ、登場人物がどうしてこういうことを言ったり書いたりするのかが、ただの江戸時代の武家の暮らしとして描いているだけでは伝わらない。その「わからなさ」に固執する人々が滑稽であると伝えるつもりなら、テレビドラマの Big Bang Theory のように脚色もできるが、この作品はそういうものではないだろう。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Google+ Twitter Facebook