2018年01月22日に初出の投稿

Last modified: 2018-01-22

Wikipedia が辞典として印刷物よりも膨大な分量を誇っているのは事実だし、その多くは情報としてそれなりにまともな内容を備えている。但し、論争の余地が多い話題については編集合戦が延々と続いているし、マイナーな話題については起稿した人物の編集内容に誤りがあっても誰も訂正しないままとなっていることが多々ある(もちろん、こんなことは印刷物の辞書にも言えることであり、これまで数多くの「信頼ある」辞書が ― 哲学の辞典ですら ― 人種差別や女性差別を臭わせたり前提するような恥ずべき文例や語釈を提供してきた)。

そして、何年か利用してきたユーザとしては、ここ最近の傾向として参照先の外部リンクが到達不能になっている事例が増えてきていると感じている。注釈の中でリンクされているリソースや、外部サイトとしてリンクされているリソース、こういったリンクは、Wikipedia が飽くまでも調べものの「起点」でしかなく、ものを知るための、いわんや学術研究にとって十分なリソースを提供する場所ではないという、彼ら運営者の意図を反映しなくなってきていると思う。辞書は、もちろんそれ自体の編纂には多くの資金や努力が費やされていて敬服するに値するとは言え、しょせんは言葉とその語釈の寄せ集めでしかない。それらを全て正確に記憶したところで、その人物が善人や賢者になるわけでもなんでもないのである。もちろん、その延長として学術的に正確かつ厳密な議論と理解が可能になったとしても、その人物が更に「善い」判断や「優れた」考え方ができる保証もないのだが、言葉の意味を大量に知っているというだけの人物よりはマシというものであろう。

そういうわけで、僕は Wikipedia の編集者が少ないとか、controversial な項目についてイデオロギーや利害関係にもとづく編集合戦が続いているということよりも、ハイパーリンクが有効に活用されておらず、またハイパーリンクとしてリソースの情報ネットワークを維持するという点が軽視されていて、そのうち Wikipedia だけで閉じた情報リソースになってしまう可能性の方に危機感をもっている。そうなると、僕ら末端の利用者としては、参照先のリソースは実際に辿り着けた時点で、まさにその場で自分の手元に保存しておくという対策を選ばざるをえない。もちろん、それはそれで自分自身の保有しているリソースに閉じてしまうと本末転倒なので、例えば「情報の大半はオンラインにアップされているわけがない」という全く常識的な理解を踏み外さないようにすることも大切だ。

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