Scribble at 2022-06-06 16:18:37 Last modified: 2022-06-07 00:07:42

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「出口が見えないなら、えんぴつで描いちゃおう」

みんな「アセミック・ライティング」と書いてるんだけど、これは「エイシミック・ライティング」だ。意外に感じるかもしれないが、特にアメリカ人は "a" という不定冠詞を ei と発音することが多々あって、教科書でしか勉強していない人には無学な人だという誤解を引き起こす。とにかく、なんでもかんでも "a" を「ア」と発音したり日本語で表記する不自然な習慣はやめて、実際にネイティブが発音しているように表記するしたほうがいいだろうと思う。これを、文字体系が違うのだから厳密には不可能だという一点だけで、無駄なことだとか、あるいは外国語のカタカナ表記はすべて外来語として日本人が勝手には都合よく発音すればいいなどと言う人もいるわけだが、ナショナリストの自覚もない馬鹿の言うことに耳を傾ける必要などない。もちろん、外国語を日本語の記号で正確に表すことが困難であることくらい、中学生になって英語をまじめに勉強していれば1年も経たずに理解するものだ。それどころか岩手弁ですら、特別な発音を指定するための注釈を付けない限り正確に表記するのは難しいのである。それでも、われわれは正確に書き表そうとするべきであり、これを放棄してよいのは「クオリア言語」という妄想に取りつかれた人間だけだ。

それにしても、こういう技法において「黄金比」は何か役に立つのだろうか。いや、もちろん皮肉のつもりで書いているわけではなく、黄金比に限らず数理的な扱いでデザインする余地はあるのだろうかという意味だ。そういう余地が、こういう手書きの技法にあってもいいし、人の手でどれだけ精密に書けるかというアプローチがカリグラフィの一つの目標でもあったという歴史的な事実があってもよい筈だ。手作業でやれば何でもかんでも「アナログ」であり、機械的・形式的なものではないというのは、非常にたちの悪い思い込みだ。

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