Scribble at 2023-11-04 09:51:44 Last modified: 2023-11-04 17:07:30

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Daves Old Computers

ソース・コードもすごく古臭くて単純なのに、ページを画像にキャプチャーする拡張機能の処理が凄く遅くなる。不思議なサイトだな。

それはそうと、この方は下層の領域で自分が開発してきたプログラムを公開しているので、そちらを主に眺めていた。もちろん、1970年代や1980年代のプログラムであるから、それらが今のコンピュータで使えるというものではないし、本人にもそんな意図はあるまい。あくまでも、読んでアルゴリズムや設計思想の参考にするものだろうし、仕事をしてきて公開までしようって人のコードには、そういう価値があるとは思う。プログラマならやるべきと言われながら、実は殆どの(有名人も含めて)プログラマはやってなどいないと言われている、他人のソース・コードを解析して学ぶという作業は、時間があればやって悪いわけがない。

で、こういう話をすると脊髄反射みたいに「他人のコードを読むと『悪い癖』がつく」とか利いたふうなことを言う人が出てくるんだけど、まぁ・・・そんな心配する時点で、はっきり言って低レベルな話だよな。我々のようにコーディング規約を社内で策定してるようなレベルの人間はもちろんだけど、最低でも修士くらいまでは学んでいて、コードを眺めてナンボのコンピュータ・サイエンスの学位をもってるようなレベルの人々には馬鹿げた心配だと思うよ。というか、他人の文章とかプログラムを読んだうえで、採用すべきことと自分が単純に感化されたことの区別ができて、それらの是非を判断する基準を持っていないような人は、システム開発やプログラミングの仕事をしてはいけないと思う。コーダも必要とされる職能なわけだし、そちらの経験を積むことをお勧めするね。

それから、この人物は60歳を向かえたので(向こうに「還暦」という風習はないが、それに類する感覚はあろう)ソース・コードを公開することにしたと書いている。よく考えたら(僕も頻繁に「よく考えると」なんて書くのだが、実際には熟考なんてやってないので、これは話題を自分自身に置き換えるための言葉の彩にすぎないが)、僕もあと5年で還暦である。自分が還暦を迎えるなんて、自分自身が子供の頃はもちろん、四十代の頃でも想像できなかったのだけれど(いや、正確には今でも想像し難いが)、さて何をやったろうかと考えなくもないのだが、もちろん何もやってなくたっていいのだ。てめーと家族が食えてたら人間なんてひとまずいいわけで、それ以上の何を人に求められようか。ここでわずかに何事かを公表していて誰かの役に立てばいいとは思っているけれど、もちろん誰も読んでいなかろうと、実は僕自身はそんなもん知ったことではない。僕の文章を読まなかったからといって人類の文化や文明の進展に大きな欠落や損失が生じるなんて考えてはいないし、これまでと同じく「社会科学的なスケール」で言っても、ここの文章を読もうが読むまいが、あなたの人生にとって何か違いがあるかというと、たぶんその違いは計測不能である。しかし、それは影響があまりにも些細で「測れない」という意味だけではなく、どういう影響があるのか分からないという意味で「計れない」という意味でもあるから、僕がここで書いていることが読んだ人にとって何の意味もないほど矮小だなどとは言っていない。もしそんなことを自分で真剣に信じているなら、哲学者を名乗っている人間がそんなサイトを続けるわけがないであろう。どう考えても時間と金と才能の浪費でしかないからだ。もしこのサイトの意義や価値がそんなものであれば、『Undawn』でゾンビを倒してる方がマシであろう。

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