Scribble at 2024-02-12 15:56:56 Last modified: 2024-02-13 07:47:46

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please draw an image of people who can resist against a new custom of life

僕が考古学や古代史の分野に欠けていると考えているのは、何も自然科学だけではなくて、社会科学の観点も不足していると思う。たとえば、色々な風習、墓をどう作るとか、そもそも亡くなった人の遺骸をどう扱うかという手順や考え方からして、教科書なんかにはしれっと、朝鮮半島南部の百済などからの影響で、これこれの風習になったとか書いてあるわけだけど、僕らが知りたいのはまさにそこの筈なんだよね。仮に、本当に朝鮮半島から入ってきて日本で採用されたり参考にされたというのであれば、どうしてそうなったのか。歴史を学ぶ目的とか意味って、本当はそこにある筈なんだけど、日本の教科書は相当な事項の説明において、そういう重要なところをスルーしたり、当たり前のように書いてしまう。だから、みんな教科書なんて読まないし、山川出版社がどれほど詳しい関連情報が増えただけの本を作り直しても殆ど役に立たないんだよ。歴史を学ぶということの何が大切なのか、実は教科書をつくってる人たちこそがぜんぜん分かっていない。もちろん、そこは簡単には分からない、だから関連情報だけでも分厚く記述するのだという、いまの日本の社会学者みたいなことを弁解するのかもしれないけれど、そうであれば日本で積極的に採用されたのか、あるいは実は朝鮮からやってきた人たちに征服され命令されたのかもはっきりしないんだから、「影響」なんて簡単な記述では誤解を生み出すことになると思うんだよね。

たとえば、あいかわらず古墳の話で申し訳ないことだけど、単純に朝鮮半島で作られていた古墳のような墓の情報が紹介されたというだけで、そんな簡単に自分たちの風習を変えるか? という話である。何千年も前の人々だからといって、別に馬鹿じゃないんだぜ? よそではこうしてますとか言われたくらいで、やろうやろうなんて簡単に自分たちの風習を投げ出すだろうか。やはり、そこには大義とか正当化とか期待とかいう納得できる(あるいは自己欺瞞であろうと)何らかの理由があって、はじめて自分たちの風習を劇的に変えてしまおうと決められるのではないか。あるいは、ひょっとすると納得できなくても新しい風習でやらざるをえなかった(いちばん簡単なのは征服されたとか)苦しい事情があったかもしれない。こっちが流行ってるからこっちをやりましょうとか、営業代理店の新卒じゃあるまいし。そんなに馬鹿ばっかりの集団だったら、いまごろ簡単に朝鮮や中国の地方自治区になってただろうよ。

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