Scribble at 2025-02-19 18:01:13 Last modified: 2025-02-19 18:01:32

僕は哲学というのはアメリカ人風にポリシーや信念のようなもののことだとは思ってなくて、簡単に言えば人類がそもそも宇宙にいようがいまいが成立しているような法則や事実だけを相手にするものだと思っている。

ちなみに、そういう法則や事実が「真理」と言われているような何かであるかどうかは定義に依存するのだから、僕は実はどうでもいいことだと思っている。僕が theory of truth を全く無視しているのは、それが理由だ。何が真理であるかという定義や議論が、その真理性に依存するのであれば、それはただの同語反復か循環論法にすぎない。循環論法を解決する唯一の手段は、そう考えてしまう認知プロセスを発生論的に解明することでしかなかろう。たぶんウィトゲンシュタインが言っていた「ハエ取り壺」の事例は、そういうことなのではないか。

こういうことを言うと、文学少女的にナイーヴな動機で哲学や思想に興味をもっている諸君は、苦虫を潰したような反応をすることであろう。なんと無味乾燥で情け容赦ない理屈なのか。でも、だからこそ人類なかんずく僕自身がこうして生きていて、哲学しているという事実が面白いと思っている。僕には、そういう意味では真理なんていうどうだっていいことよりも、この事実の方が大切だ。ほら、俺ってナルシストだし。

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