Scribble at 2026-06-24 08:18:44 Last modified: unmodified

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Includes non-traditional narratives for readers with a vivid imagination, interested in "what if" questions.

Anticipatory Biographies: Personal Histories of the Future

シュプリンガーからは妙な本が出ていることもあるのだが、これもまた変わった一冊だ。デヴィッド・J・ステイリーによる Anticipatory Biographies: Personal Histories of the Future は、人工知能の台頭、経済の自動化、気候変動、政治的断片化、そして技術の激変によって再編成された20〜40年後の未来世界を舞台に、16人の架空の人物の人生を描いたフィクションだ。従来の未来研究や未来学におけるシナリオは、技術や経済、政治といったマクロの、つまり巨大で非個人的な力に焦点を当てがちであり、個人がそれをどのように経験するかという個別的で具体的な質感は見過ごされてきた。本書は、その間隙を埋めるために、特権階級から社会の縁に追いやられた人々まで、多様な文化圏の個人がマクロな変化にいかに直面し、適応し、あるいは変化をもたらしたかを、雑誌 The Economist の追悼記事を真似た筆致で描き出している。著者は、未来を単一のモノリス(巨大な一枚岩)として捉える姿勢を明確に否定しており、未来はユートピアとディストピアが同居する多様な経験のスペクトルであり、それを生きる個人のアイデンティティや状況によって全く受け止め方が異なるものであると主張している。もちろん、それはそうなのだが、しかしそろそろマクロは大雑把でマイクロは詳細だの具体的だのという単純な価値観を、こういう議論に持ち込むのはやめたほうがいいと思う。それこそ、初手を間違えると後は全て歪んだ議論になってしまうからだ。個人というスケールでも、人生全体を俯瞰すれば今日や昨日の経験一つだけで何かを語れるものでもない。

さて、本書で描かれる16の人生は、それぞれが未来の極めて重要なテーマにかかわっている。

完全自律型兵器による戦場を経験したのちに動的な絵の具を用いた芸術によってトラウマを昇華し、平和構築における芸術家の役割を訴える国際的リーダーとなった従軍記者。

生体肢を凌駕する高性能な義肢を装着してオリンピック金メダリストとなり、のちに自発的な四肢切断や脳インプラントによる認知強化ビジネスの波を引き起こして社会的・倫理的分断の象徴となったアスリート。

永久凍土が融解したカナダ北部でバイオテクノロジーと自動化農業を導入して大穀倉地帯を築く一方、イヌイットの伝統派と先進派の摩擦に翻弄される農夫。

ニュートン物理学と量子力学の境界を数学的に記述してノーベル賞を受賞しながらも、かつて性別違和が病理化されていた時代に極秘裏に移行した過去を晩年に告白する物理学者。

銃乱射事件のトラウマとアナキズム思想を背景に、無策な州政府から市を法的に独立させて自治都市国家へと導いた女性市長。

移民を禁止したアメリカで、人口減少に対抗するために人工子宮テクノロジーを駆使して15人の子どもを同時に誕生・育成させ、国民的アイコンとなった母親。

鳥の群れなどの群生知能に魅せられて自動運転の交通管制アルゴリズムを開発したのち、その理論を人間の群衆コントロールに応用して、サイバネティクスによる権威主義的な人口制御システムを構想したデザイナー。

文章執筆が生成 AI によって完全に自動化された時代に、人間と AI の対話を重ねてピューリッツァー賞を受賞する傑作小説を引き出したプロンプト・エンジニア。

激化する自動化の波の中でどれほどリスキリングを重ねても常に排除され続ける過酷なサイクルに陥り、現代のラッダイト過激派グループに加わる労働者。

超高温と水不足によって居住不可能になりつつあるアリゾナ州から比較的安全なオハイオ州への不法な国内気候移民を試みるものの、境界線の壁に阻まれて強制送還される男性。

強権的な監視と強制的な環境再教育を行い、核融合発電のスケール化によって中国の経済を循環経済へと転換させたエコ独裁者。

150年前の気候に戻す機会を失った世界で、予測モデルを嘲笑うかのように200日以上インド洋に居座り続けた未曾有のサイクロンの観測に人生を狂わされていく気象学者。

GDP ではなく国民の健康と長寿の最大化を経済指標の主軸に置く日本で、微小プラスチック除去の臨床技術者としてのキャリアを終えたあとも、周期的に労働と退職を繰り返しながら121年の生涯を全うした女性。

植物を意識を持った存在として認める法理論に基づき、アマゾンの熱帯雨林を故意に破壊した大統領を、環境破壊犯罪としての新概念である「樹木殺し」の罪で有罪に導いた国際刑事裁判所の検事。

脳インターフェースで救急車を操縦する傍ら、鬱病の治療で用いた夢の視覚化技術によって、自身の無意識を企業に抽出され商業化されていくロンドンの運転手。

公教育が崩壊し AI に代替された時代において、富豪たちが地球の環境破壊を見捨てて建設した豪華な月面居住区で令嬢の家庭教師を務め、演劇や文学を用いた対話型芸術教育を通じて彼女の精神を開花させ、ともに地球へと帰還する女性家庭教師。

本書は、これら個々の登場人物の内面と行動、そしてその結果という窓を通して、われわれが直面しつつあるオルタナティブな未来をきわめて厳密かつ詳細に提示している。もちろん、これらはどこまで行ってもフィクションであり、読み物であって、「これらのストーリーを元にして」議論したり考えて何かに思い当たって新しいことを始めるのはよいが、「これらのストーリーについて」議論するのは時間の無駄である。僕が、たいていの古典研究やオタクの議論が下らないと思っている基本的な理由はこれである。ただし、古典にしてもフィクションにしても、「これらのストーリーについて」自分自身で何かを考えるのは必要であり、僕はこれを否定しているわけではない。古典研究という議論の多くは無駄だと思うが、だからといって「古典を読む必要はない」などというやつは馬鹿だからだ。そんなのは、単に勉強したくない連中の言い訳に過ぎない。

ということで、本書を元に考えてみるに、一つよく分からないところがある。それは、これらがそもそも僕らのストーリーではないということだ。よって、これらのストーリーを面白く読んだとしても、僕らが自分自身の「個人の未来学」を構想するための役には立たないように思う。そりゃ、文体や文章構成を真似ることはできるだろう。なんなら、それをプロンプトとして Gemini にストーリーを書かせてみることだって可能だろう(実際、既に文学賞の受賞作の何割かは生成 AI を活用するどころか、生成 AI が吐き出した文章をそのまま採用していたりするくらいだ)。でも、初期条件によっていくらでもストーリーは変わるわけであって、それらをどう選ぶべきなのかは、やはりグローバルなスケールの未来学に学ぶ必要がある。

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