Scribble at 2024-02-11 19:34:06 Last modified: 2024-02-11 19:52:47

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ウィキペディアによると、上のような書体が「丸文字」なんだそうな。僕は、これぜんぜん違うと思うんだけどね。そして、それは僕がタイポグラフィに関心をもってるから、デザイナーとして厳格なことを言ってるわけではないのだ。まぁつまらない自慢話にもなるかもしれないが、この時期に女の子からチョコレートと一緒にカードを貰ったりして書いてあった文字なんかの記憶と照らし合わせると、どの女の子が書いていようと、こんな印象の文字ではなかったからだ。当時の女子高生が昔を思い出して書いたのかもしれないが、はっきり言って、上のような文字は単なる下手な字でしかない。丸文字というのは、その字体が整っていたのだ。そして、字体としての丸みが同じようなカーブを描いていて、妙に均一の印象を読み手に与えるからこそ、その効用があったわけである。単にグネグネと曲げただけの文字なんて、こんなものは当時の女子中高生から見ても「へんな字」だと思われただろう。(当時の、そして現在でも現役の)女子高生の風習を舐めんなよ。

さて、なんでいきなり丸文字なんて話題にしたかというと、いま『シンポジウム 古墳時代の考古学』を読んでいるのだが、一読された方はご存知のように、冒頭部分に「古墳時代」をどう定義するかという話題が出てくる(ちなみに1970年版と1998年版があって、森浩一先生が司会をされた古い方を読んでいる。ただ、「新しい方」とは言っても既に四半世紀も前のシンポジウムであり、そろそろ次のシンポジウムの本を出す企画を期待したいのだが、どこか学生社から企画を引き取るところはないものか)。そして、ここでも書いたことがあるように、実は大半のプロパーはさほど厳密な定義をもっておらず、僕が学んでいた1970年代後半に聞いた笑い話で「古墳時代とは、古墳があった時代のことだ」というものがあったくらいだ。僕も、色々な本を読んでいたけれど要領を得なかった覚えがある。もちろん、手順としては知っている。具体的な西暦が分かる中国の文献に登場する「倭」の大王に比定されたスメラミコトと、それぞれのスメラミコトの御陵墓に比定されている古墳を基準として、その古墳よりも新しそうか古そうかという相対年代を割り振るというわけだ。古墳の形状だとか規模だとか、副葬品に須恵器があるとか埴輪があるとか馬具があるとか武器があるとか鏡があるとか。しかし、もちろん大仙古墳が仁徳陵である証拠などないし、仁徳天皇が「倭」の大王の一人である証拠もない。

こういう風習や文化や慣習の普及や導入や衰退といったライフサイクルの議論は、昔の話題であろうと、あるいは今の話題であろうと、正確にトレースしたり解説することが難しい。人のやること全般は、なんでもそうなのだ。僕は考古学にネットワーク理論や文化進化の数理解析を取り入れることにも賛同しているし、僕自身も学びたいと思っているけれど、そういう定量的なアプローチで成果が出せるとしても、それが具体的に事実を描き出したり史実を正確に理解するための業績にまでなるかどうかは分からない。人がやることには、たいてい気まぐれや偶然による色々なバリエーションや逸脱があるからだ。そして、その是非を言う資格は歴史学や考古学にはないのだ。

冒頭で紹介した丸文字にも、同じことは言える。仮に丸文字が或る状況で特定の動機から生まれて使われ始めたとしても、そういう文字を眺めて外形的に「面白い」と言って真似をする人が増えると、当初の条件や動機なんて関係なくなる。かといって、それが完全に無視されたり蹂躙される override や convergence が起きるわけでもなく、一定のコミュニティや人物によって特定の条件や動機によって使われ続ける可能性もある。これは、文化進化論で言う parallelism だ。すると、今度は外形よりも丸文字を使う人達の動機や意図にだけ共感して、必ずしも同じような文字は書けない人でも、丸文字に似た文字を書こうとするかもしれない。それが、冒頭で紹介したような単なる下手なだけの字として生き残る可能性もあろう。だが、もう既にこういう経緯をトレースしたり遡及して確かめることは不可能に近いのである。なぜなら、丸文字が使われたのは圧倒的にプライベートな目的のノートや日記などであって、公式文書には殆ど残っていないからである。仮に公式文書へ何かを記録したり記載する担当者が高卒の女性だったとして、しかも丸文字で書いても改めるよう指摘されない職場だったとしてすら、大半の組織では経理部や人事部の文書なんて5年や10年くらいで廃棄するであろう。

大学の考古学者からすれば些末なテーマかもしれないが、こういう社会現象ですら正確に理解したり捉え直すことが難しい、あるいは殆ど不可能なのである。いわんや、1,000年以上も昔の風習について正確なことなど殆ど分からないが、僅かでも何か言えるための条件を狭めていきたいという節度をもって望むことが必要だろう。

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