2018年06月13日に初出の投稿

Last modified: 2018-06-13

大阪Deep案内

昨今は都市圏の一部の地域を面白おかしく取り上げては「ディープ」などと書いている興味本位の観光ガイドみたいなサイトが増えていて、個人のブログでもそういう記事があって、暇なのか何なのか膨大な地域を紹介しては本を書いているような手合いまでいる。昔は宝島社とか太田出版とか幻冬舎といった出版社だけが細々とムック本を出していたのに、取次など無関係に電子出版やソーシャルメディアで文章が広まっている現状では、このような傾向はひとまずとどめようがないのだろう(「ひとまず」と書いているのは、僕個人はインターネットというものは永続するとは思っていないからだ。PHILSCI.INFO でも書いたように、P2P が世界規模で十分なパフォーマンスを出せるようになり、「個人という端末」つまり「個人『の』端末」ではなく、個人の認知組織とコンピュータを直に接続し、更には Google と同等のインデックスを個人で賄える記録容量が達成できれば、検索エンジンも DNS も不要になる)。

ともあれ、そういう連中を僕は「情報ブローカー」と呼んでいるのだけど、もちろん分析哲学のナウいテーマをアメリカは東海岸あたりから摘み食いする哲学教員とか、17歳で起業して他人様のレシートを10円で買い取って個人情報をかき集めるようなガキも含めて、こういう手合いがやっていることは、結局は社会科学的に有意と言い得る指標やスケールにおいて、1,000年後まで追跡調査ができたとしても誤差の範囲に収まるような違いしか社会にもたらさないだろう。

もちろん、こういうことをやっている人々の多くは、それをよく自覚している(哲学のナウいトピックを論文に書いて、スワンプマンがどうとかクオリアがどうとかやってる暇人がクーンの言った「パズル解き」以上のことをやっていないのではないかと自問しているかどうかは知らないが)。そして、「ディープな大阪」などと言ったところで、実際のところは政治的・歴史的に色々な経緯がある地区とか低所得者層、あるいはヤクザが好んで住むと言われる地区をぶらついているだけのことでしかないと分かっているはずである。そういう場所は、大阪で生まれ育った人間なら分かっているからこそ立ち寄らないのであって、「地元の人間も知らない」などと言ったところで、そもそも知る必要があるのか、知ってどうするのかという問題に向き合うつもりもなく、たかだか底辺の地区に生まれ育った「ていどのこと」で何を語る資格があるというのか、僕には全く分からない。

こんなコンテンツをばら撒いても、現状を固定する役にしか立たないだろう。なぜなら、こういう「ディープな大阪」に価値があるかのようにプレゼンすればするほど、大阪になくてはならない場所になってしまうからだ。日本に限らず多くの大都市で、インナーシティと呼ばれる貧民街が固定してしまうのも、一つには行政も含めてそういう地域を必要悪と考えてしまうことにある。このようなコンテンツは、その片棒を担いでいるだけのことだ。

もちろん、そういう地域で「そういう状況にある」ことが由々しきことであれば、それを見て見ぬふりをしろと言っているわけではない。大阪のどこか特定の場所にブルーシートを被った「お手製の住宅」がたくさんあれば、そこに生きている人たちがもっと自分なりに満足のゆく暮らしができた方がいいに決まっている。しかし、僕はこういう地域の人々の暮らしについて、対人関係なり理解の仕方を色々と学んでいる社会学者でもない人々が、いきなり踏み込んでディテールをあれこれを他人に語る必要などないと思う。それこそただの興味本位だ。そういう「読書」や「ブログ記事の閲覧」を繰り返したところで、人々はそういうところで見聞きした薀蓄を興味本位で酒の肴にし続けるだけであって、社会的弱者や、不当に抑圧されたり差別されている人たちに不正なことをすまいという行政や人間関係をどうやって作ったり維持するかという話にはならないと思う。こんなクズみたいな「情報」をどれだけ積み上げようと、何も変わらないのである。

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