Scribble at 2022-05-26 10:43:04 Last modified: 2022-05-26 10:48:14

As to reading books, I used a lot of resources to become a programmer, but books weren't one of them. I'd wager hardly anybody uses books today.

GameShell: A game to learn or teach the Unix shell (github.com/phyver)

それはそうなんだけど、UNIX shells を教えるのに Docker 入れたり X11 入れたりしないと「お膳立て」を用意できないという時点でおかしいと思ってしまうんだよね。

いちばん大切な原則の話から始めると、他人にものを教えようって人間が、教えようとすることについて正確に理解していなかったり、中途半端にしか知らなかったり、ましてやその道具やソフトウェアを使って仕事したり趣味でもいいから現実に何か結果を出したことがないとすると、そんな人間が本を書こうとゲームを作ろうと何の説得力もないし、そこでどれほど「やさしく」「わかりやすく」説明されていようと意味はない(多くの YouTuber や Twitter のアカウントがデマや思い込みを「わかりやすく」説明することに長けていることくらい、中学を卒業するくらいの年齢になれば分かるだろう)。そんなものは、僕が当サイトでも PHILSCI.INFO でも言ってるように、知識や技能の「下方圧力」となって悪循環しか生み出さないというのは、もう日本の教育を見れば明らかだと思う。教育内容の理解としても人としても未熟な人間が人を「教員免許」という紙切れ一つで教えるという、はっきり言ってグロテスクとしか言いようがない状況だ。全員が自ら目隠しして、手を繋いで地獄に落ちる真っ暗な穴へ向かって走っているのが分からないという悲惨さ。もちろん、生徒の中には目隠しを外したか外れたかで、その事実に気づいて海外留学とか自由学園とかに退避する人もいるし、金があれば日本でもホーム・スクーリングが流行るかもしれない。でも、前が見えたとしても両手をしっかりと握られていて(無能と言える教員に限って、そういうときは熱心に生徒の手を握るものだ)逃げ出せないという生徒もいることだろう。

確かに、教えたり伝えるための手法として、ゲーム仕立てにしようと、アニメで表現しようと、分析哲学者が得意とする異常で奇妙なアナロジーを使おうと、そんなことはどうでもいい。不必要な先入観や予断を一緒に伝えることなく、正確に伝えたいことが伝えられると期待できるなら、自由に採用して好きに表現すればいいのだ。そのこと自体に、活字でなければ学術研究は正確に表現できないなどと、何の根拠もなくヒステリーを起こしたところで無意味である。要は、根拠もなしに活字がいいとか、根拠もなしにアニメが効果的だとか、適当な話だけで他人の人生や生活や思考や判断に影響を与える事柄について、好き勝手なことを言ったり実行するなと言っているだけである。そういう意味で、最近の出版業者や報道機関は、あまりにも無責任だ。

上記の事例については、まず何をおいても UNIX shells について教えるのだから、教える側が shell scripting や shell の内部動作にかかわるシステム・コールなどの low level programming について一定の素養なり実績を持っていることが大前提だ。そして、そういう素養があればこそ教える知識なり経験がある人々にとって、Docker だの X11 を使うことが教育の手段として覚える意味があると言えるていどの根拠がなくてはいけない。正直、shell の使い方を教えるなんてことは、生徒にも Linux マシンを CUI で起動してもらえばいいだけだと思うのだが、それにわざわざ加えて GUI 環境のゲームをプレイする準備が必要だというなら、それを教える側も習得するに値するだけの根拠が必要だろう。それがないなら、そんなもんは、ゲーム仕立てで教育ツールを「作ってみた」という、アジアの辺境地帯で未熟なコーディング小僧が毎日のように Qiita とかに書いてる出鱈目な殴り書きと何が違うのか。

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