Scribble at 2022-04-14 08:27:24 Last modified: 2022-04-14 09:07:44

Uber だろうとクラウド・ソーシングだろうと、あるいは最近の流行だとスマートフォンだけで参加できるテスターだろうと、この手の内職というのはチンパンジーでも教え込めばできそうな作業、つまり単純労働というやつだ。できるだけ、そういうことに時間を費やすのは止めて、早く抜け出るための知恵を持つことが望ましいと思う。

僕は両親が内職をやっていた様子を二つの時期で知っている。それらは、僕が保育園に通っていた頃だから1970年代の初頭と、母親が亡くなるまでの数年間だから2010年代の後半だったから、おおよそ40年くらいの開きがある時期だった。そして、どちらについても言えるのは、内職なんかで生活はできないということだ。僕が幼い頃は、父親の実家にいくらかの土地が財産としてあったため、その一部を祖母に売ってもらって両親は自営業の薬店を東大阪市で始めた。そういう事情がなかったら、おそらく両親はガリ版の清書とか、確か「デュボア」という会社から引き受けていた小物の組み立てといった内職を続けていて、僕は大阪教育大学附属天王寺小学校なんていう酷く(教育費以外で)金がかかる学校なんて行けなかっただろうし、もちろん大学に行っていたかどうかも分からない。中学時代にコンピュータを手にすることもなかっただろうから、いまごろ人差し指でキーをタイプしながら Excel を使う田舎の役人か場末の会社員になっていたかもしれない。そして両親が70歳代の後半になって始めた内職も、毎日のようにガス器具を山ほど組み立てていたようだが、その収入で生活するなんてものではなかった。年金だけでなく僕からの仕送りがあったので、内職で得た数千円の収入は週末に近くの回転寿司屋へ行くだけで消し飛んでいたことだろう。

このような経済とか商売とか仕事の仕組みというものは、何千年が経過しようと変わらない。多くの人々の労力を安く買い叩いて集約し活用することで、供給側のビジネスというものは効率よく収益を上げる。企業運営において財務的な課題がある場合にやるべきことは、もちろん無駄な出費を抑えることは最低限の措置だが、最も効率の良い解決方法は固定費を削減すること、つまり生産性を落とさずに給料を減らしたり人を解雇することである。こういう仕組みにおいて、内職は携わる人々がひとりでに生産性を上げてくれるか維持してくれるようになっている。小物や部品を1日に数千個は組み立てたり、荷物を1日に数十件と届けても、それだけでは生活できないような単価に設定してあるため(このような設定は最低賃金のような労働法規と関係がないフリーランサーの契約みたいなものなので、内職を受ける側には何も訴える権利がない)、内職する側がどれほど生産性を劇的に向上させても構わないようになっている。たとえば、一人なら1日で1,500円分の収入にしかならないとすれば、家族4人でやると6,000円分にはなるが、親も子供も全員が朝から晩まで内職に取り組むとなると、当たり前だが子供が学校へ行くことはできなくなるし、親も職安へ通う時間すらなくなるため、生産性を上げて〈やったなりの成果〉になればなるほど、逆に生活を回し続けるには内職しかできなくなるというロック・インが起きる。

つまり内職に手を染めると、抜け出るための外からの仕送りとか親類からの援助とか、あるいは親の財産でもない限り、生活が固定されてしまうわけである。言い換えると、下方圧力に抵抗する手立てがなくなり、下層階級の世帯として固定されてしまうのだ。

いわゆるワーキング・プアは正社員だろうと非正規の派遣社員だろうと、少なくとも職を手にしてどこかで働く上での待遇の問題であるから、まだマシと言える。派遣社員は収入が安定していないし、どういう仕事をさせられるのかも不明な場合がある(携わる業務があらかじめ分からず、派遣先に行って初めて指示されたり研修させられる偽装請負なんて、大多数の企業で横行している筈だ)が、職能によっては正社員よりも収入が多かったりするので、生活するにあたって不安がないていどの貯蓄ができる人もいるにはいる。しかし、Uber Eats の「配達パートナー」という内職でそんな貯蓄は絶対に不可能である。

よく、ギグワークをやったこともない小僧や主婦が「1回で500円、1時間で4回、1日で10時間だから1カ月で・・・」などと小学生並みの計算を書き並べる妄想だけで適当なブログ記事を書いて「頑張れば月収30万円は見込める」などと情報商材の詐欺師と同じようなクズ文章をばらまいているが、そんなに機械的に次々と配達の依頼が来るものではないし、それを次々と機械的にこなせる人間もいない。現実には月収で10万円にもなれば多い方だろう。(収入が少ない人はこうすれば稼げるとか、稼ぐ人はこうしているといった記事は、どれも50年前からある悪徳商法と同じ話をしているのだ。)

ともかく内職というものは、スキルを向上させたり他の働き口を見つけるチャンスを単純労働に費やす時間で潰してしまう自滅的な行為だ。それによって「経済が回る」とか「イノベーションがどうたら」とか「GDPがあれこれ」などと言っている、経産省の官僚とか経済評論家とか慶応のリバタリアンとか IT 企業のサービス・マネージャといった人々の言うことなんて、まったく無視しても人の社会や文明から継続性どころか進展・進歩の力が失われることはない。人は、株価が上がるからものを発明するわけでもないし、札束を手にして六本木ヒルズでアイドルの卵と乱交パーティできるから働くわけでもないからだ。多くの人々に食べ物や衣服が普及することと、楽天やユニクロの事業評価額や株価が上昇することに、正確な意味で経済的に言って必然とか不可避と言える関連性なんてないのである。

しばしば春闘の報道などをニューズ番組で観ていて、上場企業や大企業の給与や待遇が向上しないといけないという、一種のトリクル・ダウンを〈期待する〉人がいる。しかし、そんなトリクル・ダウンは、まず歴史の事実として起きたことは一度もないし、加えて経済の理論としても起きる可能性なんてない。勝手にそんなことは起きない(大企業の待遇が改善されたことを理由にストや暴動が起きて、中小零細企業の待遇に影響が出た事例はある)。シャープや電通や IBM の社員の給料がどれほど上がろうと、それを理由に僕の給料が1円でも上がるなんて理屈は、敢えて経営側にいる人間として言わせてもらうが、ありえないのだ。他の会社がどれほど儲かっていようと、自社の収益が安定して上がらない限り、従業員の給与を引き上げる理由なんてないに決まっているだろう。なんで大企業や上場企業の労働条件が変わっただけで、中小零細企業の労働条件まで自動的に変わらなくてはいけないのか。給料というものは、『スタートレック』のレプリケータから出てくるホット・ミルクのように、必要なら好きなだけ手元に現れるわけではないのだ。自分の働き方とか働き場所を自分の力で適切に向上させたり改善させたり選ばない限り、自分自身の境遇や生活なんて勝手に都合よく変わったりはしないのである。大半の国では、セーフティ・ネットとしての福祉制度があってイージーな自己責任論は否定されているものの、だからといって社会主義でもあるまいし国や自治体が生活の面倒をいくらでも看てくれるわけではなく、仮に生活保護や失業保険を受けるとしても、あなたの代わりに役場の職員が仕事を探したり資格試験を受験したり飯を作ってくれるわけではないのだ。

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