Scribble at 2023-04-26 16:05:22 Last modified: 2023-04-26 16:22:54

いちおう信用されるかどうかは分からないが、当サイトと PHILSCI.INFO と takayukikawamoto.com で掲載する画像で ChatGPT や DALL·E 2 などを使った自動生成の画像を利用する場合は、そういう仕方で生成した画像である旨を明記することとしたい。画像に watermark として合成することもあれば、キャプションを追加するかもしれないが、ともかくシレっと合成画像を現実のものであるかのように扱ったり掲載することはない。

ただ、そうすると写真をレタッチしたものは「現実」の画像なのかという話にもなろう。いや、そもそも僕は写真そのものが僕の体験をぜんぜん反映していないという話を前にしたことがある。したがって、加工してあろうとなかろうと、写真や画像は「現実」とか「真実」を何の歪みもなく反映するものではないという基本は強調しておきたい。しかし、そうではあっても合成した画像や映像は違うのであり、その説得力において異なると思う。これは何らかの実体的な違いがあるというよりも、そうだと仮定する擬制が社会的に有効だという、僕が当サイトで繰り返して主張している「権威主義」の一例だ。

「権威主義」というと脊髄反射的に悪いものだと思う人はいるだろうけど、逆にたいていの人間の「自由」なんてロクな結果じゃないんであって、福祉や金持ちにケツを拭いてもらってるだけって気がする。ガキにそういう甘えはあってもいいけど、大人には許されないだろう。そら、ChatGPT や DALL·E で吐き出した画像を使って何をやろうと勝手かもしれないけど、その責任をとれるのかね。いや、そういうものが広まった影響なんて凡庸な個人には計り知れないだろう。でも、そういうわからなさに向かい合って委縮する必要はないとしても、謙虚になることも一つの成長だと思うんだよ。リバタリアン的には、そういうデタラメなことをやる連中から一人でも成功者が生まれたらペイすると思ってるのかもしれないけど、果たして歴史を正確に理解すれば、そんなことを気軽に言えるものだろうか。つまり、結果的に成功した君たちの視点から見たらペイしたと後で言えるかもしれないけれど、それまでに一緒になってバカげたチャレンジに身をゆだねて、もしかすると破産したり死んだかもしれない人たちの視点から見れば、ぜんぜん違う。でも、リバタリアンというのは基本的に生存バイアスこそ自分たちの方針だと言って憚らない連中なので、そんな自分以外の落伍者のことなんて知ったことではないわけだよ。そういう、結果として誰が生き残るか分からないような相手と競争するのはおかしいと僕は思うね。成功した本人ですら、自信はあっても予測はできないようなところで、誰かは分からない生き残りと自分とを戦わせたり比較するなんて、結果が起きる前から結果論を言えみたいな不可能なことをやってるに等しいのに、誰もそういうばかばかしいゲームに気づかない。

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