Scribble at 2022-11-19 13:01:51 Last modified: unmodified
僕は日ごろから、アメリカは社会科学の最前線であると同時に、あらゆる社会問題の最前線でもあると言ってきた。人は欠落しているものを欲する。しかるに内戦を繰り返してきた日本という国家では和を以て貴しと為し云々といい、野蛮人の集まりであるイギリスという国ではジェントルマンだの紅茶文化だのを愛し、スケベ民族としか思えないフランス人は芸術を愛好し、がさつな征服民族のドイツ人は精密技術を尊んで自分たちに欠けた能力を持つユダヤ人を憎む。同じく、世界中でもっとも多種多様な差別や格差や犯罪が横行するアメリカ合衆国では、平等だの自由だのダイバーシティだのと、自分たちがまるで実現できていないお題目を率先して考えついたり学説にしてゆき、それこそ「名前を付けるだけのこと」でしかない社会科学を自己目的化した学界でグルグルと精緻化するわけである。もちろんだが、分析哲学や科学哲学にも同じような傾向がある。表面的には、分厚い教科書ともどもパワフルでアグレッシヴな研究と教育には圧倒される。でも、実はそれだけの業績や成果を世の中に向かって押し返すように出し続けなければ、あの国の学者や学問は、ビジネスマンが大好きな反知性主義のプラグマティズムと、これまたビジネスマンが大好きなリバタリアニズムと、なぜかこれもビジネスマンが大好きな勤勉を説くプロテスタンティズムとによって押し流されてしまうのだ。
しかるに、アメリカが実は最も発達したワーカーホリックの国であり、ブラック労働の社会でもある。イーロン・マスクの言動なんて経営の歴史を知っている者にとっては珍しくもなければ異常でもなく、アメリカの経営者の姿勢としては100年くらい前から殆ど変わっていない。