Scribble at 2022-02-02 12:40:57 Last modified: 2022-02-02 12:44:26

いまのところ、老視(老眼)や老眼鏡については継続して調べているのだが、ここのところ記事としてまとめる意欲が減退している。その理由は、幸か不幸か、どうやら老眼の進行が思ったよりも深刻ではないからだ。

もちろん老視は老化現象の一つとして、或るていどの年齢までは進行してしまうようである。よって、老視の進行が50代で止まるということは考えにくい。ただし、何歳くらいで止まるのかは、ウェブ・ページを漫然と検索するだけでは分からない。眼鏡屋とか眼科医などによって、60歳だの、65歳だの、70歳だのと、何の根拠もなくいい加減なことを(医者ですら)書いているパターンが大半だからだ。専門医ですら、その「専門」分野の中で習得した知識の偏り方によっては、眼科医でも眼の病気や眼の詳しい仕組みを知らなかったり、最新の知識にアップデートできていない事例が多い。これは、この2年ほどの間で新型コロナウイルス感染症の流行という事態に置かれてみて、感染症の「専門」医や公衆衛生学の「専門」家の中に相当な割合で無知な人物や陰謀論に取りつかれた馬鹿がいるという事実を見て分かったはずである。それゆえ、老視の進行については、まだこれから調べないと何とも言えないが、さほど進行していないと感じている以上、調べる気が減退してしまうのも人情というものであろう。

なんにしても、いまのところ僕の老視は毎年のように度数の強い老眼鏡を買い揃えなくてはいけないほどの状況ではない。4年前に父親から譲り受けた、恐らくは +1.0 か +1.5 の老眼鏡で十分に辞書も読めるし、かけたまま自宅の中で何の不自由もなく生活できている。+2.0 などの度数が強い老眼鏡をかけると、却って特定の距離しかピントが合わなくなるため、周りがぼやけてしまって吐きそうになるほどだ(ただし、+2.0 のような度数だとスマートフォンを寝床で眺めるくらいの用途なら使えるため、いまは寝室に置いている)。つまりは、老眼になったと自覚してから +1.5 の度数を使うていどにしか進行していない。80歳を過ぎた父親のように +3.0 以上の気分が悪くなってくるような度数の老眼鏡など、いまのところは全く不要だ。

それに加えて、この数年のあいだの反省として、とりわけ自宅では老眼鏡をかけたままで生活しすぎていた気がするので、敢えて老眼鏡をかけたまま過ごすのはやめたという事情もある。実際のところ、スマートフォンや辞書の文字を読むという用途を除けば、パソコンの画面に向かって仕事するときなどは老眼鏡がなくても全く文字の判読に不都合はない。それでもかけていたのは、単に老眼鏡の度数が +1.0 や +1.5 などと弱いために、ほとんど伊達眼鏡と変わらなかったからにすぎないのだ。でも、かけている以上は何らかの影響があり、かけなくてもいいのにかけているのもおかしなことである。よって、かけなくてもいいならかけないようにしようと思ったのである。

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