Scribble at 2024-05-05 10:31:56 Last modified: unmodified

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Since the last release 3.0.5 from 2015 a lot of things have happened to the Dillo project.

Dillo release 3.1.0

約9年ぶりに開発が継続されることとなった、フリーの WWW ブラウザだという。コミットの履歴を見ると、2000年だから「前世紀」と言ってもいい頃からあるプロジェクトのようだから、もちろん Mosaic や Netscape や IE あるいは W3C の Amaya なんかも競合だったのだろう。

僕は、正直なところ「オープン・ソース」とか「フリー」といったコンセプトで成立したり継続できるプロジェクトというものは、かなり限られていると思っている。ソフトウェアなら何でもオープンソースで開発できるかというと、そんなことはない。それに、個人が単なる思いつきや義侠心で始めたとしても、たいてい継続しないという明白な事実をわれわれは知っている。「Aは利用料金が高い」「Aは商用利用できない」といった理由だけで A の alternatives となるオープン・ソースのプロジェクト B を始めたとしても、そんなことだけでプロジェクトは継続しない。そして、プロジェクトを始めた当人の意欲や資金がなくなるとか、もっとあからさまに言えば始めた当人が死ぬという場合もあるだけでなく、チームにした場合でも色々なトラブルが起きてチームが活動を止めたり解散したり、あるいは事実上の休止となるのが現実だ。手を入れる人が1人から5人や10人になったからといって、その全員が長期に渡って開発やメンテナンスの意欲や興味を失わないという保証などないのだ。

もちろん、だからといて Adobe や Microsoft のプロダクトだけを使っていればいいなどとは思わない。ソフトウェアというものは、これは「本質的」とまでは言わないとしても、「不可避的に」そうある他にないという意味で、大企業が開発しているものであろうと、たいていは未完成で未熟なクソだからだ。われわれは、いわばいちばんまともなクソを口に加えながら「コンピューティング社会」なるものを生きているにすぎない。確かに、僕らは他人の仕事に依存するほかはないのだから、彼らの努力に一定の賞賛を示すべきではあろうが、それは誰かがやる他になく、そしてやりたい人がいるからであって、そういう人々が適任であり、そして適任と言えるだけの才能ゆえに仕事をしているとは限らないのである。よって、賞賛はするし必要とあれば対価を払うこともやぶさかではないが、原則として有限である他にない凡庸な人々の仕事に過度な信頼を置いてはいけないとも思う。

なので、これはまったく実績としてどのソフトウェアが「使えるか」という問題でしかないのであって、それがオープン・ソースだからとか、マイクロソフトが開発してるからとか、幾らのお金を払ってるからとか、そういう問題ではない。いつものように、オープン・ソースであろうと公にソフトウェアをリリースしている限りは、免責事項をどれほど書いても一定の(あるいは社会的な)責任が生じるわけであって、そういう意味では企業がリリースしているプロダクトとしてのソフトウェアと同じく、実績が全てなのである。そして、僕が幾つかのオープン・ソースのソフトウェアを敢えて使っているのは、それを仕事なりプライベートなりで適度に使い続けられているという実績をつくるというタスクを分担しているという自覚があってのことだ。

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