Scribble at 2024-02-09 21:17:04 Last modified: 2024-02-10 10:02:37

考古学では用語一つで特定の学閥の人間だと誤解されたり、あるいは特定の学説を支持していると誤解されたりするため、学術書は言うに及ばす、たとえ一般向けの本からでも言葉を借用して古代の事物を説明するときは、とりわけプロパーがいる場では注意を要する。数学において「自然数」にゼロを含めるかどうかといった定義の仕方によって融通が利くような場合とは違って、考古学では特定の学閥や学説にコミットしていると見做されてしまうと、人間関係や学内での人事にまで影響が出るとも言われているため、実は日本で考古学を勉強している人達の多くは、本来の学術研究とは関係のない馬鹿げた情報や事情を学んで頭に入れなくてはならなくなる。まさに半世紀も昔の『白い巨塔』の世界と言っても良い。そういう中で、例のインチキ石器騒動が起きたのだから、それいらい日本の考古学は学術研究分野として信用されておらず、なぜか大学で教鞭を執っている骨董品屋、好事家、あるいは不敬にもスメラミコトの御墓を暴こうとするアカだと見做されている印象もある。そして、困ったことに古代史の学者や考古学者こそが、昨今では「謎」だの「真実」だのとセンセーショナリズムに染まった通俗書をバラ撒いており、かなり困惑させられる。

森(浩一)先生もエッセイを多く出してきた考古学者ではあったが、いたずらにロマンだ謎だ真実だと軽薄な好奇心を煽るような本は書かなかった。先生のスタンスは、ごく常識的かつ節度ある学術研究のスタンスだけで十分に知的好奇心を刺激され満足させられるのが考古学の対象たる遺物や遺跡であり、もちろんそれらの成果を集めた末に思い描くところはあるにしても、それを語るのは学者ではないという一線を越えないように注意を払っておられた。松本清張氏を始めとして古代史に関心をもつ文芸作家との付き合いもあったが、彼らのようなファンタジーを決して書かなかった。

こうして、予断を与えるような言葉遣いは避けるのが最善だというのが、森先生が物事を説明するときの基本的なスタイルだったわけである。宮内庁が「仁徳天皇陵」などと呼んでいる古墳も、仮にまさしく仁徳天皇の墓だったとしても「大仙古墳」と呼ぶのが適当であり、本当の被葬者が分からないならなおさらである。これは、愚かなインチキ保守や右翼どもが錯覚するような政治的イデオロギーとは関係ない。それから古代に朝鮮半島から渡ってきた人々を「帰化人」と呼ぶのか「渡来人」と呼ぶのかについても、本来はナショナリズムと関係ないはずが、どうも「朝鮮人に恩恵を受けたかのような歴史は受け入れられない」などという、われわれ真の保守から言えばクズみたいなプライドで歴史を理解する連中が、古代史のプロパーにすらいるわけだ。恥を知れと言いたいね。また、考古学の世界では有名な話だが、大阪府の泉北丘陵地域に広がる古代の窯址群(ようしぐん。「窯跡(かまあと)」とも呼ぶ)は、現在は「陶邑窯跡群」(すえむらようせきぐん)と呼ばれているが、これも『日本書紀』に出てくる場所の呼称を勝手に遺跡群の地域名に拡大して使っており、考古学的にはナンセンスだが、当時のマーケティング的な意図によって採用されてしまい、既に修正が難しくなっている。これも、森先生は「大阪府南部窯址群」などと呼んでいたけれど、しょーもない学閥の影響もあって駆逐されてしまい、日本で初めて須恵器の編年研究で体系的な見通しを示したにも関わらず、森先生は須恵器に関する研究から遠ざかってしまった。

もちろん、いまや「大阪府南部窯址群」と言っても多くの人には通じないので、多くの文献では是非の判断をする余地もなく特定の名称を使わざるを得ない。それは「仁徳天皇陵」にしても同じことであり、なぜか古墳についてだけは妙なファンを自称する連中がたくさんいるらしいが(彼らは古墳が「墓」だと分かっているのだろうか。「古墳のファンです」なんて言うのは、僕ら考古学に少しでも携わった人間からすれば、「浄土宗の位牌が好きです」とか「火葬場から立ち上る煙の臭いフェチです」とか言ってるのと殆ど同じに見えるんだけど)、かような人々が「大仙古墳」なんて呼ぶのを聞いたためしがない。通俗化というのは、現実には埋蔵文化財についての理解など全く向上したり進めるものではなく、逆に偏見や無理解を助長することさえあるのだ。

それはそうと、いま陶邑窯址群について調べていたついでで大阪府立泉北考古資料館も調べたのだが、既に堺市立泉北すえむら資料館という施設に変わっていたどころか、その堺市立泉北すえむら資料館ですら2016年に閉館していたのだな。僕は大阪府立泉北考古資料館が運営されていた時代に「大阪府立泉北考古資料館友の会」の会員だったことがあって(会員番号300番)、何度か大阪府立泉北考古資料館で開催された講演会へ足を運んで話を聞いたことがある。こんな、考古学という特殊な分野ではあるが有名な史跡の博物館ですら閉館してしまうのだ。いかに今世紀に入って考古学(の成果)への関心や期待が低下しているかを表しているのではないか。うってかわって、いまや巷にあふれているのは、僕ら保守思想の人間から見ても忌々しいインチキ保守と無教養な右翼が続々と出版している馬鹿げた妄想の本ばかりだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook