Scribble at 2021-06-03 20:26:36 Last modified: unmodified

テレビ番組や小説で描かれる歴史上の人物というものは、やはり一定の筋書きとか人物像という設定の上で史実を敢えて無視したり「独自の解釈」とやらで歪められたりするものが多い。もちろん、脚本や小説家、いやそれどころかノンフィクションの評伝を書いている筈の作家ですら、勉強不足やイデオロギー的な思い込みに囚われて調査や検証の必要を感じなかったり、細かい区別を無視してしまうからだ。そういうわけで、とにもかくにも美化されるだけで終わってしまう人物も多い。

たとえば、山内一豊と正室の見性院だ。浪人から大名まで登り詰めた成功者と内助の功で知られる良妻賢母というのが彼らに対する通り一遍等の描写である。しかし、同じ土佐の有名人である坂本龍馬について何ほどか知っていれば、彼が押し込められていた土佐特有の厳しい氏族制度が何を発端としていたのかを省みることで、山内家が土佐に入って旧支配者層の長宗我部一族やそれらの旧臣を支配するための仕組みであったと気づくのは、難しいことではないだろう。単純に史実を洗い出すだけでも、山内一豊は土佐藩主となってから、わずか5年で亡くなっている。つまり、現実には多くの旧支配者層と一党が反乱を起こしたり不満を抱えたまま、大して何もできずに世を去ったわけである。

そうして、国内での混乱を収拾するために、長宗我部の旧臣を「上士」、それ以外の一領具足(武士と農民を兼ねていたような身分の人々)を「郷士」として区別し、郷士の中から上士並みに扱える者を「白札」として、このような氏族制度を江戸時代の終わりまで維持した。坂本龍馬は郷士の家の人であり、そして当サイトでも記事を掲載している鹿持雅澄は白札の家の人であった。

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