Scribble at 2026-04-06 14:00:32 Last modified: unmodified

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The Free Market Lie: Why Switzerland Has 25 Gbit Internet and America Doesn't

アメリカの社会科学者が言う「自由市場」とか「自由経済」という言葉は、実際には概念ではなく一種のマーケティング用語や政治的なプロパガンダの道具だと思っておいた方がよいという場合があって、これは僕が専門としている哲学においてすら、アメリカというのは自分たちの歴史や文化や慣習あるいは政治的な仕組みという脈絡を無視して、まるで厳格かつ客観的な用語であるかのように「自由」とか「正義」とか「権利」とか「公平」といった言葉を使っていたりするわけだ。僕が、例の「白熱教室」おじさんを一種のエンターテイナーとして冷笑しているのも、一つにはそういう理由がある(他の重大な理由として、彼ははっきり言って哲学としては殆ど業績をあげていない二流の学者だという事実がある。ハーヴァードの教授だろうと、おりこうさんというだけで大きなインパクトを与える業績を出せるわけではない)。彼に比べたら、本当に元エンターテイナー(女優)だがマーサ・ヌスバウムの方がはるかに多くの業績をあげている。

なので、ここで紹介している記事が指摘するように、たかだか一つの国でやっていることを典型的であるばかりか本質的であるかのごとく錯覚し、その現状を記述するだけで立派な経済学や政治学あるいは哲学になるなどというのは、知的に幼稚な人間の態度でしかない。そして、そういう幼稚さを避けるために人々が古くから大切にしてきたのが、歴史の知識なり知恵の記録である。僕が「保守」を名乗っているのは、こういうまことにまっとうな理屈を、インチキな「伝統」などというものよりも重要だと考え、そしてそれにこそ権威を仮構することが正しくて適切だと思うからだ。したがって、僕のこういう見識においては右も左も関係がないのである。関係があるのは、人類の積み上げてきた経験や知恵を尊重するかどうかだけである。

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