Scribble at 2022-12-21 09:03:32 Last modified: 2022-12-21 09:58:37

どんな分野やテーマについても言えることだと思うが、分かることと分からないことの区別がある。単純な例で言えば、 ()1+1=2() が正しいことは大半の人にとって分かることの範疇に入る筈だが、 ()a+b=2() であるからといって、 ()a() と ()b() が何であるかは分からない。よって、この式が正しいかどうかも分からない。そして、分かることと分からないこととの区別がどこにあるかも、分かるときと分からないときがある。同じ例を使うと、 ()a() と ()b() のどちらかが分かるかどうかが、恐らくは判断の基準になる筈だ。

(1) ()1+1=2() ... 式が正しいと分かる

(2) ()1+b=2() ... ( ()b() が分からないと)式が正しいかどうか分からない

(3) ()a+1=2() ... ( ()a() が分からないと)式が正しいかどうか分からない

(4) ()a+b=2() ... ( ()a, b() の両方が分からないと)式が正しいかどうか分からない

もちろん、現実に身の回りで起きることがらは大半が (4) の部類に該当する。仮に数理経済学者や経済評論家並みに物事を単純に考えるとしても、 ()1+b=2() みたいな調子で自明な式をあれこれと喋っているような連中は、たいてい(どんなに複雑な偏微分方程式を持ち出してこようと)自分自身の偏見で大半のパラメータを固定しているだけである。逆に、経済学者が偏微分方程式のような数式を持ち出してきたときこそ、読む側は数学というだけでたじろぐのではなく、寧ろ分からないはずのことを断定して(偏微分とは、要するに複数の変数がある関数で一つ以外の変数を固定して考える微分であるから)いるのだと受け取るくらいでいい。どのみち、経済学者にそれ以外の変数を調査したり分析したり正しく仮定する能力など全く無かったりするからだ。

そうは言っても、与えられた話題について是非を判断したり、あるいは何事かを決めて自ら実行する場合に、(4) では判断のしようがないし (1) のように自明な状況は少ないにせよ、(2) や (3) だと見做して良いと言えるていどの理由は欲しい。仮に社員からパソコンを買い替えたいという稟議が上がってきたとしよう。事由として、(a) 動作が重くなってきたという理由と、(b) Windows 7 のサポートが切れるという理由の二つが書かれているなら、これは (2) と (3) のどちらに該当すると見做せるだろうか。あるいは (1) や (4) だろうか。明らかに (1) や (4) だと言えるなら、稟議を決裁して良いかどうかは「分かる」範疇になる(もちろん、(4) なら十分な根拠がないから却下または差戻である)。よって、(2) や (3) であるかどうかは、(a) と (b) がそれぞれ(両方でもいい)正しいと分かるかどうかの問題に後退する。ふつう、稟議というものは自明な理由で何事かを決めるだけの既成事実を追認するわけでもない限り、必ずこういう後退が起きるものだが。

ここで、実際に (a) と (b) を調べてみると、(a) はもちろん実際にパソコンを使ってみて「動作が重い」という主観的な使い勝手の感想が業務に支障を及ぼすほどのことなのかどうかを確かめる必要があるし、その原因があれば対処できるかどうかも検討する必要がある。ウイルスに感染しているとか、事務作業用のノート・パソコンにしこたま常駐ソフトを入れてるとか、そういう当人の扱い方が原因である場合も多々ある。そして、(b) についても Windows のサポートが切れるのは何時なのかによっては、ただちに買い替えなくてはいけないほどのことなのかどうかも判断できる場合がある。1年後なら却下だ。それどころか1ヵ月後に迫っていようと、大半の中小企業では Windows のサポートが切れるていどのことでパソコンをホイホイと買い替えたりはしないだろう。なので、こういう場合は (b) については会社によって是非を決められるため、分かることと分からないことの境目は (a) について実際にパソコンを調べることでしか判断できない。

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