Scribble at 2023-10-23 15:14:53 Last modified: unmodified

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既に古書としてしか手に入らないし、後続の研究を反映させるべき内容も多いと思うので、紹介だけしておく。上の画像は、原田大六氏の『邪馬台国論争(上・下)』(三一書房、1975)である。考古学者を志していた小学校高学年から中学にかけて、森浩一先生や末永雅雄先生らに手紙を書いたり、あるいは森先生を同志社に訪ねていったりしていた頃には、この原田大六氏の著作も熱心に読んでいた。そして、僕が作家のインチキな歴史小説を軽蔑するようになったのも、原田氏の本書の影響があった。いまではそこまで歴史小説というものを毛嫌いしてはいないし、中国を舞台にした塚本靑史氏の歴史小説は何冊も読んでいる。

「卑怯なのは古代史の研究にたずさわっている古代文献史学者や考古学者である。」

こんな書き出しの古代史・考古学の著作は、なかなか珍しい。僕は森先生の直接の弟子ではなく、彼に傾倒しておられた瀬川芳則先生の弟子だったのだが、彼らお二人も考古学者としては変わった文章を書く人々だし、ときとして辛辣なことも書くわけだが、原田大六氏ほどではない。もとより、原田氏は大学教員でもなければ埋蔵文化財行政の職員にでもない、れっきとしたアマチュアだったからだ。だから、科学哲学において僕が PHILSCI.INFO で書いているような侮蔑を述べても地位に影響がない。もちろん、僕はそのうち日本科学哲学会を何らかの理由で追い出されるかもしれないが、僕が哲学者としてやるべきことと何の関係もない。実際、僕の神戸大学時代のボスであった森匡史先生(僕には「森」という師匠が二人いたことになる)だって、日本科学哲学会を退会しようかどうかボヤいていることが多かったくらいだ。互助会としては何がしかの効用があることは否定しないし、少なくとも学会誌である『科学哲学』を読めることで国内の様子が何ほどか分かるという利点もあるから、僕はさほど無益とも思っていない。でも、あの学会誌に僕自身の考えを押し進めたり転換させるような文章が掲載されるとは、思っていない。

さて、原田大六氏の議論に戻ると、彼の文章を読み直してみて、邪馬台国にかかわる馬鹿騒ぎには幾つかの欠点があるという彼の指摘は、この21世紀に入った現在においても全く同じことが言える。

第一に、邪馬台国と呼ばれる地域社会なり国家なりのすがたについて殆ど議論が蓄積していないこと。要するに、邪馬台国の話題は「邪馬台国がどこにあったのか」とか「卑弥呼はどういう女性なのか」という、新聞記者が記事にするためのネタという脈絡でしか語られていない。

第二に、邪馬台国と呼ばれる国の成立や推移や終焉などの、まさに歴史の議論が欠落していること。もちろん困難な研究であることには間違いないが、そういう話題に取り組もうとする事例が殆どないというのは、要するに関心がない証拠でもあろう。

そして第三に、邪馬台国にかかわる議論には殆ど理論とか論理的な議論の組み立てが欠落していることである。確かに安本美典氏のような理数系の研究者による議論もあるにはあるが、本来は海外なら自然史や文化人類学という理数系の学科にも入っている考古学の研究者が、その手の議論をしていない。よって、日本で理数系のアプローチは常にキワモノ扱いされたり、逆に「理系が見たなになに」といった上から目線の差別的で傲慢な議論になってしまう。こうしたことを日本の考古学者は避けていて、結局は作家が描く歴史小説さながらの、古い順番に推移を並べるだけの記述を考古学だと錯覚するような著作物ばかりになる。

これらは、本書が出た1970年代から半世紀近くが経過した現在でも、ほぼ同じように指摘できるのが、かつての天才考古学少年としては悲しい。

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