Scribble at 2022-02-16 09:07:57 Last modified: 2022-02-16 11:01:29

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Pricing Plans: Wolfram|Alpha Pro

Wolfram|Alpha Pro を subscription で利用すると、月額では800円弱となる。僕は特に利用するつもりはないのだが、入力した式をステップごとに解説してくれるという機能は、教材を自作する教員には便利だと思う。もちろん生徒にとっても複雑な式を展開する場合の参考にできるとは思うが、数学の問題を解くときに大切なのは、与えられた式を〈どんな定理や解法を利用して解くか〉という処理ではない。それは、実はただの機械的な作業に過ぎず、受験でのケアレス・ミスをなくすために工夫や慎重さは必要だが、式を解くために僕らが学ぶべきことではない。寧ろ、どうしてその定理や解法を〈そこで利用できると思いついたのか〉が重要で、実は数学の教員の大半はこれを教えようとしないし、こちらの方が重要であるという本質に何も気づかずにものを教えている。そして、説明できなくなると「数学的センス」などという御託を口にして逃げるのだ。これは数学のプロパーの研究者が教科書や通俗書を手掛けているときにも等しく当てはまりやすい欠陥の一つだと思っていて、これを正しく理解して是正しない限り、どこまでいっても数学という教科は〈できるやつらだけの科目〉に終わってしまう。しかも、その〈できる〉というのが、論理的な思考であるとは限らず、やみくもに暗記したパターンの中から適当なものが使えたとか、全てのパターンを試してみたという、偶然もしくは腕力の結果にすぎなかったりする。

よく PHILSCI.INFO では philosophy for everyone とか「14歳からの哲学」みたいな通俗的とも言える啓発活動やスローガンを「新手の天才探し」とか「パブリシティに寄与する神童や若々しい高齢者の採用活動」だと揶揄していたりしたが、ものごとを筋道立てて順序を追って考える訓練というものは、確かに小学生からでも始められるし、始めて良いし、始めるべきかもしれない。ただ、この国ではすぐにクリシンのような揚げ足取りや、「サバイバル」などと鬼面で人を驚かせるようなフレーズを振り回すセンセーショナリズム、あるいはくだらないレベルの日本語の「論理学」を卑近な事例で延々と説いて回る人間しかいないので、そこから大学の哲学科へ実際に入学しない限りは底上げにならないという切実な問題がある。それらの自称啓発活動や出版活動そのものが、多くの人々の意欲に対する下方圧力(勉強はそこまででいいよ)になっているという自覚がまるでないのだ。しかし、数学の事例で見ると分かる筈だが、どうして与えられた式についてこれこれの定理を当てはめると有効なのかを、教える側が「センス」などという誤魔化しではなく、まさに「論理的に」説明できる工夫をすれば、夥しい分量の世俗的な実例を並べてみたり、半分ケツが出てるようなミニスカートを履く女子高生のイラストを表紙に描かなくても、生徒は数学の問題を解く筋道について(「できるようになる」かどうかはともかく)理解できるし納得がゆくわけである。ポリアの『いかにして問題をとくか』という古い本が、いつまでも書店で積み上げられて売れ続けているのも、おそらくはそういう実情があるからだと思う。

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