Scribble at 2026-03-02 08:28:49 Last modified: 2026-03-04 08:05:32

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老眼鏡を使い始めたのは、確か四十代の後半だったから10年くらい前になる。それから、最初は百均で買った安物を使ったり、あるいは父親からのお下がりを長らく使っていたりしたのだが、ここ数年は家の近くにある安い眼鏡店で作ってもらった老眼鏡をかけていることが多い(何種類かを使い分けているが、実際にはどれも大きな違いがない)。

僕はもともと視力は良かったので、いまでも裸眼の視力は 1.2 くらいある。なので、生活していて大半のシーンでは老眼鏡をかけたりしていない。逆に、老眼鏡をかけるとぜんぜん見えなくなるからだ。そして、こういう実感とか経験について学ぶことがあればと思うのだが、老眼鏡について丁寧に解説しているサイトやページというのも、これまた該当する年代の人にサイトを作る技量も意欲もない人が多いからか、圧倒的に少ないわけで、これもウェブ・コンテンツの系統的な偏りだと思う。

ふだんは寧ろ老眼鏡を使わないので、早い話が子供の頃から近視でメガネを掛けっぱなしで暮らしている、僕の連れ合いのような人々とは違って、僕らはメガネというデバイスを着脱することが多い。本を読んだり、スマートフォンの画面を眺めたりという、近くの細かいものを見たり読むという、特定の目的でしか老眼鏡を必要とせず、それ以外では寧ろ老眼鏡が邪魔だからだ。したがって、この着脱が非常に煩わしく、僕の QOL を下げる一因になっていると言ってもいい。

かつては、テンプルで耳にかける側の先端(「モダン」あるいは「先セル」と呼ぶらしい)にワイヤーをゴムで取り付けて、メガネを首に吊るしていたこともある。どこかへ置いておくと、必要だと思ったときにわざわざ置いてある場所まで取りにいくという効率を致命的に下げる行動が必要になるからだ。しかし、コロナ禍からこのかた、家で座って仕事をしていることが多くなり、手を伸ばせばメガネをかけられるため、そういうワイヤーを付けているとメガネ全体が嵩張るだけなので、逆に外してしまった。

しかし、そうはいっても、この着脱そのものが面倒臭くてどうしようもない。なので、メガネ、あるいはコンタクト・レンズを毎日のように取り替えている人も多いと思うが、よく長年にわたってこんな面倒臭いことを続けて気がおかしくならないものだと感心してしまうくらいだ。いや、本当に面倒臭い。イーロン・マスクにがんばってもらって、目そのものをカメラのレンズみたいに置き換えるようなテクノロジーを開発してもらうしかないな。僕は現象学をやってる哲学者のような肉体フェチではないので、自分の目が Leica や Nikon のレンズになったからといって、「るーるーるるるー」なんて哀愁は感じないね(バトーやサイトウみたいなもんだし)あーでも、自分の目がアマゾンで売ってるベトナム製のデバイスになったら哀愁は感じるかもしれない。せめてミノルタとかソニーとか、それくらいの目はほしいよね。

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