Scribble at 2024-05-20 16:49:36 Last modified: 2024-05-20 17:15:30
38% of webpages that existed in 2013 are no longer accessible a decade later
こういう考察や議論をオンラインで展開すること自体が、しょせんは自意識過剰な話でしかないというのは、承知している。もちろん、誰が読んでいるとも分からない個人の落書きで、こうした大局的な話題を取り上げて、そしてその理解や考察の末に僕自身が何をどうしようと、社会科学的なスケールで言えば誤差ほどの影響もない。しかし、よく考えたら当サイトは第一に僕自身の動機とか目的によって制作・運営されているわけであって、自己満足だろうと承認欲求だろうと、ともかく誰かに要求されて文章を書いたりサーバ料金を支払っているわけではないのだ。よって、どういう外部あるいは僕自身の事情があるにせよ、とどのつまりは僕がやりたいことをやり、そしてやりたくなくなれば誰に構うことなく止めてしまえる。もちろん、科学哲学のコンテンツを他人に公開したところで科学哲学という分野が進展するわけでもないだろうし、そもそも僕自身にとってすら関係ない。僕自身が哲学者として何事かを理解したりとか知りたいというだけなら、別に他人に向かって文書を書く必要はないからだ。僕が納得できればいいという範囲で、本を読み考え、そして死んでいくのであろうと、君らには何の関係もない。
したがって、上記のような記事において大半のオンライン・コンテンツが消失していると言われても、結局のところインターネットとは通信にほかならず、受信した側が何をするかが決定的な問題であって、送信する側も受信した側からどういうフィードバックがあるかだけが問題なのだ。よって、その途中にメディアなりウェブのコンテンツなりが宙吊りの状態でサーバやデータベースに保持され、ウェブ・ページなりオンライン・サービスとしてアクセスして閲覧できようと、そんなことは「メディア」とか「ネットワーク」においては、やはり昔もいまも、ということはつまり本質的に言って二次的なことなのである。
これは、おそらく著作物を書いた昔の人々にとってもそうだったと思う。ヒュームは同時代人に向かって Treatise を書いた。200年後に東アジアの辺境地帯で、トーダイキョージュと呼ばれる人物が自分の著作物を読んで何事かを考え、何かを書くなんてことは想像していないだろうし、する必要もなければ、その義務もないわけである。僕らは、しょせん徹底して同時代の、しかも自分が見知っている人々に向かってものを書いたり発言することが基本なのであって、それを軽視して「世界中の人と繋がる」などという錯覚や妄想に取り憑かれるのは、危険なことだと思う。
もちろん、だからといって「世界と手を切る」みたいな思考も逆向きの愚かさというものであろう。おまえたち他人がどうなろうと知ったことか、俺は公に文章なんて書くことはやめて、自分の勉強と沈思黙考だけで老後は静かに過ごすのだ、などと言ったところで、それは(少なくとも学問の成果を生み出すための条件だと思うような、分業という社会的な取り組みを要する)「学術研究活動」というものではありえない。自宅に引きこもってどれほど大量の読書をしていようと、しょせんは金持ち老人の暇潰しにすぎない。社会科学的な価値は、それこそゼロだ。よって、もちろん僕はそんな仙人同然の生活を夢想しているわけではない。しかし、それでも僕自身の能力や「残り時間」や体力あるいは関心の広がりの限界などから言って、僕自身がひとまず十分に満足し、そしていくらかの社会的な責任を哲学者として果たせたと思えるようなところを堅実に押さえることが望ましい。
ただし、このような統計というものは、あまり真面目に受け取らないほうがいいという場合もある。特に、自主的というか勝手に何かを調査して発表する会社というものは、センセーショナルでミスリードな解釈を振り回して社会の先導者を気取る、社会調査論や統計学の博士号も持っていないマーケティング屋ばかりの偽インテリ集団であったりするから、プロパガンダや陰謀論の元凶になったりするものだ。Common Crawl のかき集めている大量のデータというものは、実際のところはロボットが吐き出した SEO 目的のコピペブログ記事だとか、フィッシング・サイトのデタラメなアフィリエイト広告なども含まれいてるだろう。もし、そういうものを「きちんと」仕分けできる技術やアルゴリズムを持っているなら、とっくの昔に Google に買収されているに決まっているからだ。実際には、そんなものはインチキ SEO 野郎や情報商材野郎どもとのイタチごっこであるから、ガラクタを選り分けることは殆ど無理である。よって、ガラクタの大半が10年以内に消えて無くなったと言われたからといって、それが何かわれわれの情報社会における「資産」の蓄積として由々しき結果なのかと言われれば、そんなことはなかろう。寧ろ、そういうクズはさっさと消えてなくなることこそ、情報社会における「アルゴリズム的な正義」なのだ。しかるに、丁寧に書かれた当サイトのようなコンテンツが運営者の小遣いや労力によって継続しているという実態に大きな変化や衰退が見て取れないなら、他のコンテンツがどうなろうと知ったことではないだろう。